うろこや総本店

株式会社うろこや総本店(うろこやそうほんてん)は、山形県の企業。県内にチェーン店を展開し、和菓子洋菓子製造及び販売を行っている。山形市の戸田屋正道はここから分家した店である[1]

株式会社うろこや総本店
種類 株式会社
市場情報 非上場
本社所在地 日本の旗 日本
999-4221
山形県尾花沢市大字尾花沢1524
設立 1972年9月1日
業種 食料品
法人番号 2390001009173
事業内容 菓子製造販売
代表者 代表取締役 戸田 悟
資本金 1,000万円
従業員数 80人
外部リンク http://www.e-urokoya.com/

沿革

江戸時代

初代戸田安右衛門は近江国出身で、江戸前期に守り本尊の木造千手観音立像を背に流浪の末、大石田にたどり着いた[2]。安右衛門の大石田到着は、天和4年(1684年)の証文があることから、延宝から天和にかけての時期と考えられる[3]。安右衛門の旅ははっきりしない点が多く、単身だったとも兄弟を伴っていたともされる。理由についても何らかの事情で郷里にいられなくなったため、父祖供養のため、といった理由が考えられている[2]。 大石田にたどり着いた安右衛門の像は後に大石田の乗舩寺に寄進された[注釈 1]。この像は正慶2年(1333年)の銘のある鎌倉時代の作で、1958年(昭和33年)に県指定有形文化財に指定されている[4][5]

初代安右衛門は大石田に定住し、1684年(貞享元年)に事業を始めた[注釈 2]。舟運の要衝である大石田で、戸田家は船主のほか、荷問屋、金融業、染物業と幅広く事業を拡大していった。「ウロコヤ」「△ヤ」の名称はこのころから使用されていたが、「宇呂古屋」「鱗屋」と漢字で書かれることもあったほか、「近江屋」も併用されていた[8]。戸田家は宝暦5年(1755年)と天明3年(1783年)の飢饉に際しては米や金を供出している。

しかし文化5年(1808年)に大石田本町で起きた火災に巻き込まれて経営難となった。文化9年(1812年)から天保元年(1830年)にかけて幕府が船運賃を2割下げた上に船荷も減少、さらに船持惣代をめぐる不正による紛争もあり、戸田家は船主をやめ、菓子屋を営むようになった。これが後のうろこや総本店の原点となっている。1989年には安政2年(1855年)の日付の入った落雁の型枠や、文久元年(1861年)のまんじゅう札の版木など、この時期に使用されていた道具が店の蔵から発見されている[9]

明治以降

大正時代に建てられた旧本店。大石田町の町指定文化財に指定されている。

明治維新時点では菓子専業となっていたが、経営状況は思わしくなく、たびたび借金を必要としていた[10]。1877年(明治10年)には菓子屋を廃業して煮売屋を始め[11]、1881年(明治14年)からは酒類も提供するようになった[12]。経営は好転し、1885年(明治18年)には菓子販売を再開した[13]。再開時点で商品はせんべい、饅頭、おこしなど12品目であった[14]。再開した菓子販売は順調で、1890年(明治23年)には蕎麦の提供を中止、1896年(明治29年)には飲食業を全廃し、再び菓子専業となった[15]。購買力の向上もあって菓子販売は好調が続き、拡大基調は昭和初期に不況に陥るまで続いた[16]

1938年(昭和13年)春からは洋菓子の製造に取り組み、バタークリームを使ったシュークリーム、スイートポテト、アップルパイ、エクレア、ケーキ、チョコレートロールなどを販売した[17]。洋菓子の製造販売は大石田では初めての試みであった[18]。この年の夏には氷菓の製造も開始し、アイスキャンデー、最中、シャーベットを販売するとともに、夏季には喫茶店も開店するようになった[19]

しかし戦時色が強まると菓子販売は統制され、地域の販売業者は1941年(昭和16年)に大石田菓子統制組合に統合された[20]。その後さらに企業合同が進められ、1943年(昭和18年)に大石田菓子統制組合は大石田菓子有限会社となったが、原料の減配により生産量は低下が続いた[21]

戦後

敗戦で大石田菓子有限会社は自然消滅し、ウロコヤは飴玉やパン、おこしなどを販売した。1952年(昭和27年)頃からは菓子生産も安定した。1972年(昭和47年)に終戦直後に一時扱っていた洋裁用品の販売をやめ、菓子専門店にするとともに法人化した[注釈 3]。1977年(昭和52年)には最初の支店を村山市に出店、平成に入るとさらに多店舗化を推進し[22]、2003年(平成15年)には5店目となる東根店を開店している[23]

店舗

ドメーヌうろこや 東根店
ドメーヌうろこや
東根店
うろこや寒河江店
  • お菓子の郷・うろこや総本店
  • ドメーヌうろこや(1977年開店)
  • うろこや東根店(2003年8月2日開店[23]
  • うろこや谷地店(1992年開店[18]
  • うろこや寒河江店

商品

和菓子・洋菓子の両方を扱っている。2004年には尾花沢夢ファクトリーが商品化した「尾花沢すいか糖」を使用したプリン「すいかの王様もとなりくんのプリンスプリン」を販売した[24]。2017年には山形県立北村山高等学校家庭クラブが提案した、尾花沢市産のソバを使った菓子を販売した[25]

  • 栗ようかん
  • 母歌味のしらべ
  • チーズ饅頭
  • くぢら餅
  • 古代米餅
  • ひらた舟
  • のし梅
  • さみだれゆべし
  • 半熟チーズ・半熟ショコラチーズ
  • チュイル
  • パイラスク
  • ギフチョウサブレ
  • 奥羽本線

注釈

  1. 『大石田町史』によれば、戸田安右衛門が千手観音を乗船寺に寄進したのは安永8年(1779年)である。初代戸田安右衛門は正徳2年(1712年)没である。
  2. これは戸田家側の主張であり、戸田家の大石田定着を「恐らく元禄正徳年間」[6][7]とする文献もある。
  3. 『産業情報やまがた』310号(平成7年11月15日発行)によれば、法人化は1972年(昭和47年)、菓子専門店化は(昭和)49年であり、同じ年ではない(11ページ)。

出典

  1. 最上川千本だんご 横丁とうふ店(大石田) 農水省局長賞に 食品流通機構表彰 優れた経営評価 戸田屋正道(山形)も入賞」『山形新聞』2017年(平成29年)2月28日付8面。
  2. 戸田 1989, p. 2.
  3. 戸田 1989, p. 5.
  4. 『日本歴史地名大系 第6巻 山形県の地名』平凡社、1990年、449-450ページ。ISBN 4-582-49006-9。
  5. 「ふるさとの文化財 136 県指定有形文化財 木造千手観音立像(大石田町・乗舩寺) 鎌倉期の彫刻技術 凝縮」『山形新聞』2013年(平成25年)4月8日付5面。
  6. 横山昭男「元禄・正徳期における水運の発展と商品流通(上)――幕藩制的全国市場の展開との関連――」『日本歴史』第225号、1967年、吉川弘文館、52ページ。
  7. 横山昭男『近世河川水運史の研究』吉川弘文館、1980年、100ページ。
  8. 戸田 1989, pp. 8–9.
  9. 「よみがえる〝伝統の味〟 大石田の菓子店 落雁の型枠五百点 安政二年製 蔵から見つかる 新天皇ご成婚記念作も、実物再現」『山形新聞』平成元年(1989年)1月11日付朝刊15面。
  10. 戸田 1989, pp. 104–109.
  11. 戸田 1989, pp. 109–111.
  12. 戸田 1989, pp. 112–113.
  13. 戸田 1989, pp. 113–114.
  14. 戸田 1989, p. 115.
  15. 戸田 1989, pp. 115–116.
  16. 戸田 1989, pp. 123–126.
  17. 戸田 1989, pp. 166–167.
  18. 吉田豊「企業往訪 「構造変革期」の菓子店経営を探る⓳ 三百年の伝統を生かした積極経営 うろこや総本店(山形・尾花沢市)」『製菓製パン』第63巻第7号、製菓実験社、1997年7月、147-151ページ。
  19. 戸田 1989, pp. 167–168.
  20. 戸田 1989, pp. 168–176.
  21. 戸田 1989, pp. 176–179.
  22. 「これぞ老舗〜やまがたに息づく[3] うろこや総本店 季節の語り部 菓子の道 プラス思考の家訓、今も」『山形新聞』2012年(平成24年)1月23日付7面。
  23. 「情報センサー うろこや東根店2日開店」『山形新聞』2003年(平成15年)8月1日付朝刊7面。
  24. 「相性絶妙!プリンとスイカ糖 尾花沢の菓子店商品化 健康に良く、味すっきり」『山形新聞』2004年(平成16年)9月11日付朝刊2面。
  25. 「北村山高そばガールズ×うろこや総本店(尾花沢) おいしい出会い 高校生考案 そばスイーツ限定販売」『山形新聞』2017年(平成29年)11月1日付28面。

参考文献

  • 戸田榮一(編)『戸田家のあゆみ』戸田隆助、1989年。

外部リンク

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