かなしい坂
名前の由来
玉川上水は当初、現在の京王線多磨霊園駅近辺を通す予定であった。しかし工事がこの坂にまで達すると、導水した水がすべて地面へと染み込んでしまった。そのため玉川上水はコースを北へ移し、工事を再開した。 工事に関わった役人たちは、失敗の責任を問われて処刑された。その際に役人が「かなしい」と嘆いたことから、この坂に「かなしい坂」の名が付いたといわれ[1]、今に至っている。
誘導してきた水が字金尻(府中町谷戸の南端)へ落ちてしまい、そこの字名の金尻(かなしり)が「かなしい」と呼び習わされていたので、そこにある坂道を「悲しい坂」と読んだとの説もある[2]。祝儀等の際にはこの道を通らないという話もある[3]。
出典
- 府中市 文化スポーツ部文化振興課『いしぶみ草紙 路傍の語り部たち』府中市、2010年3月、12頁。
- 三田村鳶魚『三田村鳶魚全集 第一七巻』中央公論社、1976年9月25日、185頁。
- 『三田村鳶魚全集 第一七巻』中央公論社、1976年9月25日、186頁。
- 杉本苑子『玉川兄弟』朝日新聞社、1974年。ISBN 9784167224202。
- 府中市立郷土館編『府中市内旧名調査報告書』府中市教育委員会、1985年11月30日、24頁。
外部リンク
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