ねじりまんぽ

ねじりまんぽSkew arch)とは、アーチ橋を斜めに架けるための組積造の技法である。

専門用語では斜架拱(しゃかきょう)と呼称する。

概要

ねじりまんぽとは、明治大正期に建設されたレンガ構造の土木構造物で[1]トンネル状の斜めアーチを煉瓦石材により組積造で構築する技法の一つである[2][3][4]。斜架拱の一種[1]。ねじりまんぽの「まんぽ」は近畿地方でトンネルのことを指す方言で[5]、マンボ、マンプウ、マンボウなどとも言われる[1]

ねじりまんぽは、海外では鉄道の普及より前、19世紀以前には既に存在していたと考えられており[6]、一説にはルネサンス期の1530年代、イタリア・フィレンツェのムニョーネ川に架かるPonte Rossoが最初期のねじりまんぽともいわれている[7]。鉄道構造物としてのねじりまんぽの初期の例としては、1829年建造のイギリス・マージーサイドにあるレインヒルのアーチ橋が知られている[6]

日本国内では、日本における本格的鉄道技術の出発点である、明治7年(1874年)開通の東海道本線大阪‐神戸間[8]お雇い外国人のイギリス人技師によって初めて採用された[9][3][10]。明治10年(1877年)5月、明治新政府は大阪駅構内に鉄道技術者の育成機関、工技生養成所(工部省鉄道局工技生養成所)を設立した。工技生養成所ではイギリス人鉄道技師により数学・測量・製図・力学・土木学一般・機械学・運輸大要などの教育が行われた [11][12]。ねじりまんぽも、この工技生養成所出身の技術者たちの活躍により日本各地へ広がっていった[9]。ねじりまんぽの多くは近畿圏に存在するが[13]、北は新潟県から南は福岡県までの日本列島の広い範囲で建造された。明治期には普遍的な技法であったが[14][15]、大正初期、コンクリート橋の普及により、ねじりまんぽの建設は途絶えた[16]

日本では前述の理由により鉄道構造物としての採用が殆どで、琵琶湖疏水蹴上インクラインのものは鉄道以外では希少な採用例である[17]

ねじりまんぽ一覧
名称開業年路線駅間
(廃止区間を除き2023年時点)
建設備考
安井拱渠[18] 1874東海道本線西宮‐さくら夙川官設鉄道さくら夙川駅建設により消滅
東皿池拱渠[18] 1874東海道本線さくら夙川‐芦屋官設鉄道
木仙上谷拱渠[18] 1874東海道本線住吉‐六甲道官設鉄道1993年撤去
馬場丁川拱渠[18] 1876東海道本線西大路‐桂川官設鉄道
円妙寺架道橋[18] 1876東海道本線長岡京‐山崎官設鉄道
奥田端拱渠[18] 1876東海道本線島本‐高槻官設鉄道
門ノ前拱渠[18] 1876東海道本線JR総持寺‐茨木官設鉄道
東川拱渠[18] 1880東海道本線大津‐大谷官設鉄道1921年廃止
小田原川拱渠[18] 1884東海道本線垂井‐関ケ原官設鉄道
甲中吹拱渠[18] 1887東海道本線穂積‐大垣官設鉄道
甲大門西拱渠[18] 1887東海道本線穂積‐大垣官設鉄道
琵琶湖疏水[18] 1888京都市
屋ノ棟川トンネル(上)[19][18] 1889東海道本線篠原‐野洲官設鉄道1956年頃撤去
市三宅田川拱渠[18] 1889東海道本線野洲‐守山官設鉄道
狼川トンネル(上)[20][18] 1889東海道本線南草津‐瀬田官設鉄道1956年頃撤去
兵田川拱渠[18] 1889東海道本線石山‐膳所官設鉄道
篠津川拱渠[18] 1889東海道本線石山‐膳所官設鉄道
鳥谷川拱渠[18] 1890関西本線加太‐柘植関西鉄道
碓井第12号橋梁[18] 1893信越本線横川‐軽井沢官設鉄道1963年頃撤去
碓井第15号橋梁[18] 1893信越本線横川‐軽井沢官設鉄道1963年頃撤去
第130号橋梁[18] 1893桜井線金橋‐高田大阪鉄道
車場川拱渠[18] 1897信越本線荻川‐亀田北越鉄道
第248号拱渠[18] 1897関西本線月ケ瀬口‐大河原関西鉄道
第272号拱渠[18] 1898関西本線加茂‐木津関西鉄道
東除川暗渠[18] 1898高野線狭山‐大阪狭山市南海電鉄
第91号暗渠[18] 1899山陰本線千代川‐八木京都鉄道
狼川トンネル(下)[20][18] 1900東海道本線南草津‐瀬田官設鉄道1956年頃撤去
屋ノ棟川トンネル(下)[19][18] 1901東海道本線篠原‐野洲官設鉄道1956年頃撤去
眼鏡橋[18] 1913三国芦原線三国‐三国港鉄道院
折尾高架橋[18] 1914北九州市内線黒崎‐折尾九州電軌
欅坂拱渠[18] 1915日田彦山線採銅所‐香春小倉鉄道
六把野井水拱橋[21] 1916北勢鉄道線楚原‐上笠田北勢鉄道

日本のねじりまんぽ

日本国外のねじりまんぽ(Skew arch)

脚注

  1. 河村他 1990, p. 199.
  2. 小野田他 1996, p. 117.
  3. 辻 2007, p. 43.
  4. 小野田 2014, p. 71.
  5. 辻 2007, p. 44.
  6. 小野田 2004, pp. 129–130.
  7. 小野田他 1996, pp. 129–130.
  8. 小野田 2000, p. 269.
  9. 小野田他 1996, p. 128.
  10. 小野田 2014, p. 72.
  11. 清水慶一「明治初期における初等・中等建築教育の研究」『日本建築学会論文報告集』第307号、一般社団法人 日本建築学会、1981年、143頁、NAID 110003881885
  12. 林田治男「英国人鉄道技師の叙勲」『大阪産業大学経済論集』第17巻第1号、大阪産業大学学会、2015年、26頁、NAID 110009990314
  13. 小野田 2014, pp. 68‐69.
  14. 河村他 1990, p. 210.
  15. 小野田他 1996, p. 118.
  16. 小野田他 1996, p. 130.
  17. 河村他 1990, p. 205.
  18. 小野田他 1996, p. 119.
  19. 小野田他 1990, p. 215.
  20. 小野田他 1990, p. 216.
  21. 小野田 2004, p. 117.

参考文献

  • 小野田滋、山田稔、井上和彦、松岡義幸「わが国における鉄道トンネルの沿革と現状 (第3報)」『土木史研究』第10号、土木学会、1990年、NAID 130004038141
  • 小野田滋、河村清春、須貝清行、神野嘉希「組積造による斜めアーチ構造物の分布とその技法に関する研究」『土木史研究』第16号、土木学会、1996年、NAID 130004038298
  • 小野田, 滋「阪神間・京阪間鉄道における煉瓦・石積み構造物とその特徴」『土木史研究』第20号、土木学会、2000年、NAID 130004038573
  • 小野田滋『鉄道と煉瓦』鹿島出版会、2004年。ISBN 4306077047。
  • 小野田滋『関西鉄道遺産 : 私鉄と国鉄が競った技術史』講談社、2014年。ISBN 9784062578868。
  • 河村清春、小野田滋、木村哲雄、菊池保孝「関西地方の鉄道における「斜架拱」の分布とその技法に関する研究」『土木史研究』第10号、土木学会、1990年、NAID 130004038162
  • 辻良樹『関西鉄道考古学探見』JTBパブリッシング、2007年。ISBN 9784533069086。
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