ほていや (ユニー)
株式会社 ほていやは、中部と関東でスーパーマーケットなどを店舗展開していた株式会社である。 食品や文化品はセルフサービス方式の売り場となっていたが、衣料品は対面販売を続けていた[6]。
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| 種類 | 株式会社 |
|---|---|
| 市場情報 | 非上場 |
| 本社所在地 |
名古屋市中区栄3-22-11[2][1][3] |
| 設立 | 1950年(昭和25年)3月13日[1][4] |
| 業種 | 小売業 |
| 事業内容 | スーパーマーケット業など |
| 代表者 | 高木久徳[1][3] |
| 資本金 | 2億5500万円[1] → 3億8610万円[3] |
| 売上高 | 410億円[1] → 600億円[3] |
| 従業員数 | 社員3,700名[2] |
| 決算期 | 8月[2] |
| 主要株主 | 古川正範[2]、猪飼光義[2]、古川秀一[2]、高木久徳[2](古川秀一の妹婿[5]) |
| 主要子会社 | 関東ほていや[2]、中部ほていや[2] |
| 特記事項:上場時の株式会社ユニー(2代目)は、当社が西川屋チェンや株式会社ユニー(初代)などを合併した法人であった[4]。 | |
1969年(昭和44年)8月に「タキヒョー」や「株式会社 西川屋チェン」と共同仕入れ会社の「株式会社ユニー(初代)」を設立し[7]、1971年(昭和46年)2月21日に当社が「西川屋チェン」や「株式会社ユニー(初代)」などを合併し[4]、経営統合した[8]。
概要
創業から戦時統制での休業へ
「古川政次郎」が1927年(昭和2年)に[9][10]、遠縁にあたる[9]水野常蔵氏が1912年(大正元年)に横浜市伊勢佐木町に開いた「越後屋呉服店」[11]に1年ほど勤めたのちに独立[9][注釈 1]。
1929年(昭和4年)2月24日には「古川呉服店」として[13]、横浜市伊勢佐木町で間口二間半・奥行四間半の店舗を開いたのが始まりである[14]。 開業当初は一般的な呉服太物を取り扱っていたものの[9]、早々に「モスリン」専門店となり[9]、「古川モスリン店」と称した[15]。
その後、業績拡大と共に呉服を再び取り扱うようになり、販売力のある店舗として同業社内でも注目されるようになった[9]。
しかし、その後の戦時体制下での繊維統制の影響で事業を休止した[14]。
戦後の再開から全国5位のスーパーへ
戦後の1945年(昭和20年)に[16]、古川政次郎が横浜市弘明寺で「ほていや呉服店」を開業[14]。 弟の古川秀一は名古屋市大須で「古川呉服店」を開業した[14]。
「古川呉服店」を古川秀一の縁故者が開いていた「今枝呉服店」と「猪飼呉服店」を統合する形で事業拡大を目指すこととし[17]、1950年(昭和25年)3月13日に資本金50万円で[1][4]「株式会社 ほていや呉服店」を設立し[18]、同月17日に大須・万松寺通りに「ほていや万松寺店」を開いた[17]。
1951年(昭和26年)には仕入部を設置してチェーン本部機能を整え始め、1953年(昭和28年)に古川政次郎が経営していた会社も経営統合し、1958年(昭和33年)には全店一括の仕入部を設置するなど体制整備を進め、東海道を結ぶチェーン展開を目指していった[19]。 そして、呉服の専門店から品ぞろえを広げるため、1958年(昭和33年)に洋品売り場を開設し[20]、1959年(昭和34年)には全店に洋品雑貨を取り入れて呉服店から総合衣料店に転換した[21]。
その後、1961年(昭和36年)12月8日に浜松市肴町に[22]セルフサービスを導入した店舗を開き[23]、1962年(昭和37年)5月20日に[24]横浜市の弘明寺で生鮮3品を含めた食料品も扱うスーパーマーケットを開設した[25]。
1962年(昭和37年)6月には「株式会社 ほていや(初代)」へ社名を変更し[18]、同年8月に[26]「株式会社 ほてい産業」を縫製部門として設立した[27]。
1963年(昭和38年)に物品購入部門の「株式会社 ほてい物産」と「株式会社 関百貨店」を設立[27]。 同年10月には、本社ビルとして「ほていやセンタービル」を開設した[27]。
また、京都の「嵯峨野の美しさ」から名称を採った[28]「株式会社 嵯峨美」を1964年(昭和39年)に設立して[27]、伊勢佐木町4丁目に出店し[28]、横浜ではトップクラスの高級品を扱う呉服専門店となるなど、呉服の販売にも力を入れていた[28]。
1967年(昭和42年)8月に「株式会社 関東ほていや」を設立し、1968年(昭和43年)8月には「株式会社 中部ほていや」を設立して、各々の地区ごとの営業部門を移管し、当社は両社への商品供給などの業務を行うようになった[18]。
当社は、ユニーとして経営統合する直前には、店舗数80で売上高約635億円を上げ、全国第5位のスーパーマーケットチェーンへと発展していた[8]。
提携から経営統合によるユニーへ
1969年(昭和44年)3月11日に「松喜屋」と合併契約を締結して傘下に入れ[29][30]、同月に三井物産と提携した[31]。 同年8月にタキヒョーや西川屋チェンと共同仕入れ会社の株式会社ユニー(初代)を設立し[7]、同年9月には仕入れと支払業務を同社に移管した[32]、1970年(昭和45年)2月にはタキヒョーや西川屋チェンと共に株式会社ユニー(初代)に仕入れ業務を一本化した[33]。 同年10月にはユニードと衣料品の海外での共同生産を開始した[34]。 同年11月17日に[35]ほていやの不動産会社・名浜株式会社が[36]トヨタ自動車販売との折半出資で東名クラウン開発株式会社を設立[37]。 同年にはその他にも焼津の「大勝堂」を傘下に入れている[31]。
1970年(昭和45年)2月にタキヒョーや西川屋チェンと共に株式会社ユニー(初代)に仕入れ業務を一本化した[33]。
そして、1971年(昭和46年)2月21日に「西川屋チェン」と経営統合するため[8]、同社や「株式会社ユニー(初代)」などを合併して「株式会社ユニー(2代目)」となった[4]。 同時に、「株式会社 関東ほていや」は「株式会社 関東ユニー」に、「株式会社 中部ほていや」は「株式会社 中部ユニー」となり、引き続き店舗の営業を行った[18]。
この経営統合後、仕入れも本部も資本面も、西川屋系とほていや系は別になっており、「株式会社 中部ユニー」と「株式会社 関東ユニー」は実質的にほていや系として営業を続けた[8]。
その為、上場による更なる発展を目指して完全に統合することとし[38]、1975年(昭和50年)2月21日に株式会社ユニー(2代目)が「株式会社 中部ユニー」と「株式会社 関東ユニー」のほか「株式会社 東海ユニー」を吸収合併した[4]。
その後、1974年(昭和49年)4月15日には完全子会社として「株式会社さが美」を設立して[39]、同年8月に同社に呉服部門を継承させて「株式会社ユニー(2代目)」から分社化した[40]。
1976年(昭和51年)8月21日には株式会社ユニー(2代目)が「名浜株式会社」と「株式会社松喜屋」のほか「株式会社西川屋」と「犬山食品株式会社」を吸収合併した[4]。
なお、猪飼社長達が1975年(昭和50年)に商標権を買戻し[41]、呉服部門の拡充して保有する商標に合わせる形で1976年(昭和51年)に「株式会社 ほてい産業」が「株式会社 ほていや(2代目)」へ社名を変更[42]。 呉服専門店チェーンの「ほていや」としてユニーから分離独立している[26]。
年表
- 1927年(昭和2年) - 「古川政次郎」が「越後屋呉服店」に勤め始める[9][10]。
- 1929年(昭和4年)2月24日 - 「古川政次郎」が横浜市伊勢佐木町で「古川呉服店」を開業[13]。
- 1945年(昭和20年)[16] - 古川政次郎が、横浜市弘明寺で「ほていや呉服店」を開業[14]。
- 1950年(昭和25年)3月13日 - 資本金50万円で[1][4]「株式会社 ほていや呉服店」を設立し[18]、同月17日に大須・万松寺通りに「ほていや万松寺店」を開業[17]。
- 1951年(昭和26年) - 仕入部を設置してチェーン本部機能を開始[19]。
- 1953年(昭和28年) - 古川政次郎が経営していた会社を経営統合[19]。
- 1958年(昭和33年) - 全店一括の仕入部を設置[19]。洋品売り場を開設[20]。
- 1960年(昭和35年)3月 - 「株式会社 ほてい商事」を設立[18][43]。
- 1961年(昭和36年)12月8日 - 浜松市肴町に[22]セルフサービスを導入した店舗を開業[23]。
- 1962年(昭和37年)
- 1963年(昭和38年)
- 1964年(昭和39年) - 「株式会社 嵯峨美」を設立[27]
- 1965年(昭和40年)9月20日 - 「株式会社 ほてい商事」を合併[4]。
- 1967年(昭和42年)8月 - 「株式会社 関東ほていや」を設立[18]。
- 1968年(昭和43年)8月 - 「株式会社 中部ほていや」を設立[18]。
- 1969年(昭和44年)
- 1970年(昭和45年)
- 1971年(昭和46年)2月21日 - 「株式会社西川屋チェン」や「株式会社ユニー(初代)」などを合併して「株式会社ユニー(2代目)」となる[4]。
- 1975年(昭和50年)
- 1976年(昭和51年)
かつて存在した店舗
中区
- 中店(?、1950年(昭和25年)6月開店[49])
- 売場面積53m2[49]
- 売場面積54m2[49]
- 売場面積40m2[49]
中村区
東区
北区
西区
千種区
尾張(名古屋市以外)地区
豊田市
西三河(豊田市以外)
豊橋市
岐阜県
- 岐阜嵯峨美(岐阜市神田町5-18[1]、?開店)
- 岐阜神田町店[48] → 岐阜センター店[1](岐阜市神田町4-16[1]、1951年(昭和26年)3月2日開店[60] - 1976年(昭和51年)8月22日閉店)
- 売場面積429m2[23]。
- 売場面積165m2[23]。
静岡市
- 売場面積2,500m2[69]。
- 取扱商品:食料品・衣料品・雑貨[69]。
- ほていや呉服町センター店(1,380m2)と呉服町フード店(780m2)、呉服町ニューほていや店(1,450m2)の3店として出店した[72]。
- 売場面積825m2[73]。
浜松市
焼津市・藤枝市
沼津市
磐田市
長野県
石川県
福井県
横浜市
- 古川モスリン店(横浜市中区伊勢佐木町3-107[15][93]、1929年(昭和4年)2月24日開店[13])
- イセザキセンター店(横浜市中区伊勢佐木町3-105[1]、1969年(昭和44年)4月25日開店[94])
- 横浜店[48] → 二丁目店[1](横浜市中区伊勢佐木町2-76[1]、開店 - 閉店)
- 趣味の店 → 横浜嵯峨美[95](横浜市中区伊勢佐木町4-109[48][95]、1953年(昭和28年)7月15日開店[95])
- 売場面積50m2[95]。
- 綱島店(横浜市港北区南綱島字別所耕地185[1]、1969年(昭和44年)11月25日開店)
- 中山店(横浜市緑区台村町往還下231-1[1][24]、1967年(昭和42年)11月18日開店[24])
- 売場面積137坪[99]
- 売場面積1,254m2[94]。
過去に存在した関連会社
- 不動産賃貸業・保険代理店[104]
- 不動産管理[105]
- 株式会社 ほてい商事(名古屋市中区沢井町10[43]、1960年(昭和35年)3月設立[18][43])
- 株式会社 ほてい産業(名古屋市中区栄3-22-1[106]、1962年(昭和37年)8月設立[27])
呉服専門店チェーンの「ほていや」としてユニーから分離独立している[26]。
- 包装品・消耗品調達部門を独立させて設立[23]。
- ほていやフード株式会社(名古屋市中村区本陣通1-1[109]、1963年(昭和38年)設立[109])
- 株式会社 関百貨店(名古屋市中区栄3-22-1[110]、1963年(昭和38年)設立[27])
- 株式会社 関東ほていや(横浜市中区伊勢佐木町4-117[2]、1967年(昭和42年)8月設立[18])
- 株式会社 中部ほていや(名古屋市千種区千種通1-16[2]、1968年(昭和43年)8月設立[18])
- 株式会社 嵯峨美(名古屋市千種区千種通1-16[111]、1964年(昭和39年)設立[111])
- 「ほていや」のレストラン部門[112]
脚注
注釈
出典
- 『日本スーパーマーケット名鑑 1970年版』 商業界、1970年。pp670
- 『ダイヤモンド会社要覧 非上場会社版 1970年版』 ダイヤモンド社、1970年。pp670
- “ほていや・西川屋チェン・ユニー=新会社名「ユニー」で年内合併”. 新日本経済 1970年3月号 (新日本経済社) (1970年3月1日).pp9
- “新規上場企業紹介 ユニー株式会社”. 証券 1977年11月号 (東京証券取引所総務部) (1977年11月).pp68
- “問題かかえたユニーの大合併 上場控え名実ともに必要な一本化”. 中部財界 1975年2月号 (中部財界社) (1975年2月).pp11
- 『全国繊維企業要覧 昭和43年版』 信用交換所大阪本社、1967年9月15日。pp1944
- 『日本セルフ・サービス年鑑 1970年版』 日本セルフ・サービス協会、1970年3月20日。pp10
- “問題かかえたユニーの大合併 上場控え名実ともに必要な一本化”. 中部財界 1975年2月号 (中部財界社) (1975年2月).pp9
- 『織物商要鑑 昭和10年度編纂 関東之部』 信用交換所東京局、1935年10月30日。pp303
- 『東京紳士録 昭和39年版』 東京探偵社、1964年3月10日。ppふ26
- 『織物商要鑑 昭和5年度調査 関東之部 其ノ1』 信用交換所東京局、1930年10月30日。pp394-395
- 『日本紳士録 28版』 交詢社、1924年12月12日。pp横浜之部47
- 『日本小売業経営史』 公開経営指導協会、1967年5月20日。pp584
- 『実例から見るこの店の繁栄要素 第3 (販売編)』 誠文堂新光社、1965年。pp103
- 『横浜市商工案内 昭和12年版』 横浜市産業課、1937年3月11日。pp191
- 『就職ガイド ダイヤモンド 1969年版』 ダイヤモンド社、1968年。pp774
- 『実例から見るこの店の繁栄要素 第3 (販売編)』 誠文堂新光社、1965年。pp104
- “新規上場企業紹介 ユニー株式会社”. 証券 1977年11月号 (東京証券取引所総務部) (1977年11月).pp70
- 『実例から見るこの店の繁栄要素 第3 (販売編)』 誠文堂新光社、1965年。pp110
- 『企業への招待 1968年版』 日本リクルートセンター、1968年。pp894
- 大橋隆士 “計数的資料をもとに好成績のチェーンづくり(名古屋・ほていや)”. 商店界 1963年11月号 (誠文堂新光社) (1963年11月).pp29-31
- 『日本スーパーマーケット名鑑 1970年版』 商業界、1970年。pp345
- 『実例から見るこの店の繁栄要素 第3 (販売編)』 誠文堂新光社、1965年。pp122
- 『日本スーパーマーケット名鑑 1970年版』 商業界、1970年。pp264
- “初代店長が語る「創業のころの現実とロマン」(第3回)ほていや(ユニーの前身)総合大型店チェーン化第1号店・弘明寺店 古川一成店長(現静岡地区本部長)の巻”. 販売革新 1978年6月号 (アール・アイ・シー) (1978年6月).pp265-268
- “業績好調で大島紬が人気の中心 毎年10%以上成長の(株)ほていや”. 中部財界 1983年12月号 (中部財界社) (1983年12月).pp78
- 『事業と人 1966年版』 中部経済新聞社、1966年。pp565
- 『実例から見るこの店の繁栄要素 第3 (販売編)』 誠文堂新光社、1965年。pp118
- ““消えた赤トーダイ” 「ほていや」と「松喜屋」の合併。強まるスーパーの資本系列化”. 神奈川新聞(神奈川新聞社). (1969年3月12日).pp3
- “日誌 3月”. 旬刊商事法務研究 1969年3月25日号 (商事法務研究会) (1969年3月25日).pp25
- “ハイライト 戦国時代に突入する名古屋流通業界”. 新日本経済 1969年8月号 (新日本経済社) (1969年8月1日).pp66
- “中京短信 ほていや・西川屋チェン・ユニー 新会社名「ユニー」で年内合併”. 新日本経済 1970年3月8日号 (新日本経済社) (1970年3月1日).pp41
- 建野堅誠 『日本スーパー発達史年表』 長崎県立国際経済大学論集 23号(別冊) (長崎県立国際経済大学学術研究会) (1990年3月)。pp47
- “流通年事表”. 流通情報 財団設立15周年記念特集号 (流通経済研究所) (1980年5月).pp74
- “新会員紹介”. ショッピングセンター 1987年12月号 (日本ショッピングセンター協会) (1987年12月1日).pp51
- “内側からみた流通革命第3ラウンド(1)”. 販売革新 1970年1月号 (アール・アイ・シー) (1970年1月).pp17-36
- 杉岡碩夫 “商業 クリアランスされる側の論理(経済帝国 日本のネガ像)”. 現代の眼 1973年1月号 (現代評論社) (1973年1月1日).pp145
- “問題かかえたユニーの大合併 上場控え名実ともに必要な一本化”. 中部財界 1975年2月号 (中部財界社) (1975年2月).pp10
- “新規上場企業紹介 さが美”. 証券 1985年11月号 (東京証券取引所総務部) (1985年11月).pp71
- “新規上場企業紹介 さが美”. 証券 1985年11月号 (東京証券取引所総務部) (1985年11月).pp73
- “ほていや 59年 本社新社屋完成”. 中部財界 1983年12月号 (中部財界社) (1983年12月).pp72
- “情報の交叉点”. ヤノニュース 1976年11月5日号 (矢野経済研究所) (1976年11月5日).pp134
- 『日本会社録 第6版』 交詢社出版局、1968年11月20日。pp336
- 『実例から見るこの店の繁栄要素 第3 (販売編)』 誠文堂新光社、1965年。pp109
- “大野望クローズアップ(6)中京圏そばうどんチェーンサガミの首都攻略”. 月刊食堂 1986年7月号 (柴田書店) (1986年7月).pp236-238
- 長尾秀美 “かけはしインタビュー 雇用最前線 大卒採用を大量に続ける うどんとそばの日本一のチェーン店”. かけはし 1996年10月号 (産業雇用安定センター) (1996年10月).pp13
- 『日本スーパーマーケット名鑑 1970年版』 商業界、1970年。pp369
- 『愛知年鑑 1959年版』 中部経済新聞社、1959年6月1日。pp789
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- 『日本スーパーマーケット名鑑 1970年版』 商業界、1970年。pp367
- 小林修 『年表昭和の事件・事故史』 東方出版、1989年9月11日。ISBN 978-4885912207
- 『日本スーパーマーケット名鑑 1970年版』 商業界、1970年。pp368
- 『日本スーパーマーケット名鑑 1970年版』 商業界、1970年。pp366
- “ハイライト 戦国時代に突入する名古屋流通業界”. 新日本経済 1969年8月号 (新日本経済社) (1969年8月1日).pp65
- “中部財界レポート”. 中部財界 1973年12月号 (中部財界社) (1973年12月).pp88
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- 『信毎年鑑 1975年版』 帝国興信所、1974年10月1日。pp393-394
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- “長野県にみる小売新業態の台頭”. 経済月報 1985年6月号 (長野経済研究所) (1985年5月).pp11
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- 荒屋勝 “スーパーマーケット情報”. 食品と科学 1972年7月号 (食品と科学社) (1972年7月).pp58-61
- 高橋恒 “県下小売業の変遷と価格志向強める小売新業態 ディスカウントストアを中心として”. 経済月報 1994年11月号 (長野経済研究所) (1994年10月).pp17
- 『日本商業年鑑 1971年版』 商業界、1971年。
- 『日本スーパーマーケット名鑑 1970年版』 商業界、1970年。pp287
- 『日本スーパーマーケット名鑑 1970年版』 商業界、1970年。pp295
- 『日本スーパーマーケット名鑑 1970年版』 商業界、1970年。pp665-666
- 『日本スーパーマーケット名鑑 1969年版』 商業界、1969年。pp295
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- 『デパート・ニューズ調査年鑑 1968年度版』 デパート・ニューズ社、1968年。pp319
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- 『会員・特定商工業者名簿 昭和37年版』 東京商工会議所、1962年1月1日。pp40
- 『横浜商工名鑑 昭和14年版』 横浜商工会議所、1939年12月22日。pp126
- 『日本スーパーマーケット名鑑 1970年版』 商業界、1970年。pp263
- 『日本スーパーマーケット名鑑 1969年版』 商業界、1969年。pp265
- 『日本スーパーマーケット名鑑 1970年版』 商業界、1970年。pp265
- 『愛知年鑑 1959年版』 商業界、1959年。pp790
- “大口被災(4月分)”. インシュアランス. Insurance 1971年5月号第3集(2498) 損保版 (保険研究所) (1971年5月20日).pp13
- 『全国スーパーマーケットストア・スーパーチェーン名簿』 日本化学繊維協会、1963年10月。pp131
- 創立60周年記念特別委員会 横須賀経済経営史年表編纂委員会 『横須賀経済経営史年表』 横須賀商工会議所、1990年。
- 『デパート・ニューズ調査年鑑 1968年度版』 デパート・ニューズ社、1968年。pp318
- “直撃ルポ 流通戦争 食品小売流通の最前線「藤沢」乱立ストアのツケに振り回される食品問屋 その生々しく無謀な商戦の現実を浮きぼりにする”. 総合食品 1978年9月号 (総合食品研究所) (1978年9月).pp61
- 『日本職員録 第13版 下』 人事興信所、1970年。ppほ9
- 『横浜商工名鑑 昭和34年版』 横浜商工会議所、1959年。pp226
- “業界の動き”. ジャパンフードサイエンス 1971年1月号 (日本食品出版) (1971年1月).pp70
- 『名古屋商工名鑑 昭和42年版』 名古屋商工会議所、1968年。pp197
- 『名古屋商工名鑑 昭和42年版』 名古屋商工会議所、1968年。pp300
- 『帝国銀行・会社要録 第51版』 帝国興信所、1970年。pp愛知159
- 『名古屋商工名鑑 昭和42年版』 名古屋商工会議所、1968年。pp251
- 『会社企業名鑑 昭和43年版』 日本統計協会、1968年。pp1407
- 『名古屋商工名鑑 昭和42年版』 名古屋商工会議所、1968年。pp431
- “展望台”. 食品と科学 1969年12月号 (食品と科学社) (1969年12月).pp36-47
