アウグステ・フォン・ハラハ

アウグステ・フォン・ハラハ (Auguste Gräfin von Harrach, 1800年8月30日 - 1873年6月5日)は、プロイセン王フリードリヒ・ヴィルヘルム3世の2度目の妻。

アウグステ・フォン・ハラハ
Auguste von Harrach
リーグニッツ公爵夫人(フランツ・クリューガー画)

称号 リーグニッツ公爵夫人
ホーエンツォレルン伯爵夫人
出生 (1800-08-30) 1800年8月30日
神聖ローマ帝国の旗 神聖ローマ帝国
ザクセン選帝侯領、ドレスデン
死去 (1873-06-05) 1873年6月5日(72歳没)
 ドイツ帝国
プロイセンの旗 プロイセン王国、バート・ホムブルク・フォア・デア・ヘーエ
埋葬  ドイツ帝国
プロイセン王国の旗 プロイセン王国、シャルロッテンブルク宮殿内霊廟
配偶者 プロイセン王フリードリヒ・ヴィルヘルム3世
家名 ハラハ家
父親 ハラハ伯フェルディナント・ヨーゼフ・フォン・ハラハ・ツー・ローラウ
母親 ヨハンナ・クリスティアーネ・レイスキ・フォン・ドゥブニッツ

生涯

ハラハ伯フェルディナント・ヨーゼフ・フォン・ハラハ・ツー・ローラウ(フリードリヒ・アウグスト・フォン・ハラハの息子)の娘として、ドレスデンで誕生。ハラハ伯爵家は、ボヘミア系オーストリア貴族であった。最初の妃ルイーゼを亡くしてから長らく独身であった、54歳のフリードリヒ・ヴィルヘルム3世と1824年11月9日に結婚。同時にリーグニッツ公爵夫人、ホーエンツォレルン伯爵夫人に授爵された。これは、王族でないアウグステに宮廷での地位を与えるためであったが、ドイツ諸国にあまた多い一介の伯爵令嬢を正式の妃として迎えることにはならず、アウグステとの結婚は貴賤結婚とみなされた。彼女はシャルロッテンブルク宮殿、シェ―ンハウゼン宮殿に住まうことを許された。16年ほどの結婚生活で夫との間に子供はできず、政治の舞台へ現れることもなかった。1873年、バート・ホンブルク・フォア・デア・ヘーエで死去。

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