アクセリ・ベルク

アクセリ・イヴァノヴィチ・ベルク(ロシア語:Аксель Иванович Берг[1]、英語:Aksel Ivanovich Berg[2]1893年11月10日 - 1979年7月9日[3])はソビエト連邦無線工学者、海軍の技術将校[2]

Аксель Иванович Берг
アクセリ・ベルク
生誕 1893年11月10日
ロシア帝国オレンブルク
死没 (1979-07-09) 1979年7月9日(85歳没)
ソビエト連邦モスクワ
研究分野 無線工学
研究機関 サンクトペテルブルク電気工科大学など
出身校 海軍兵学校
主な受賞歴 レーニン勲章など
プロジェクト:人物伝

生涯

1893年11月10日[注釈 1]、アクセリ・ベルクはロシア帝国オレンブルクで生まれた[2]。父はスウェーデン人、母はイタリア人だった[4]

1914年に海軍学校を卒業すると、第一次世界大戦では潜水艦航海士として従軍し、ロシア内戦では潜水艦の艦長を務めた[2]。内戦終戦後は海軍の学校に進学し、1923年に海軍の技術士官学校を、1925年レニングラード海軍兵学校を卒業した[2]。1924年からレニングラードの高等教育機関で教鞭をとり[2]、1930年に現サンクトペテルブルク電気工科大学の教授になり、1936年に博士号を取得した[3]

大粛清中の1937年12月、ベルクは反共産主義者として逮捕された[1]。チェルトックによれば、元ロシア帝国軍人で両親が外国人のベルクが軍の将校を指導していたためだという[5]。だが1940年5月、ベルクは証拠不十分として釈放された[1]

1943年3月にMinistry of the Electrical Industry(直訳:電子工学産業省)の副大臣に任命され[6]、1943年から1947年まで無線会議の副議長、1953年から1957年までソ連国防省の副大臣を務めた[2]

1979年7月9日にモスクワで死去した[1]

業績・評価

ソ連における無線工学での業績が評価されており、1951年にはソ連科学アカデミーから無線工学における業績によりA. S. Popov gold medal[注釈 2]を授与された[2]。ロシアの工学者ボリス・チェルトックは『Rockets and People』の中でアクセリ・ベルクを「(ソ連)国内の無線工学史において最も輝かしい人物」と評価している[4]

人柄・エピソード

ロシアの工学者ボリス・チェルトックは1943年にベルクと初めて会ったときの印象を「高齢の教授というよりむしろ中将の肩書をもつ海軍の軍人だった」と語っている[4]。また、洒落気を忘れない人だったという[6]

受賞歴

肩書

  • ソ連科学アカデミー - 準会員(1943年 - 1946年)、正会員(1946年 - )[2]
  • ソ連科学アカデミー無線・電子工学研究所(直訳) - 設立者、所長(1953年就任)[1]
  • サンクトペテルブルク電気工科大学 - 教授(1930年 - )[3]
  • 電子工学産業省 - 副大臣(1943年3月 - 1944年10月)[2][6]
  • ソビエト連邦共産党 - 党員(1944年 - )[2]

脚注

注釈

  1. 出典の『The Great Soviet Encyclopedia』では誕生日は10月29日(11月10日)と記載されているが、前者はユリウス暦、後者はグレゴリオ暦と思われる。本記事では日本語圏で一般的なグレゴリオ暦表記を使用する。
  2. 定訳不明。日本語訳の候補としてはポポフ金メダル、ポポフ・ゴールドメダル、ポポフ記念金メダル、ポポフ賞など。

出典

  1. Аксель Иванович Берг”. サンクトペテルブルク電気工科大学. 2018年5月7日閲覧。
  2. G. S. Enc. 1979.
  3. Eminent scientists of Saint-Petersburg Electrotechnical University”. サンクトペテルブルク電気工科大学. 2018年5月7日閲覧。
  4. B. Chertok 2012, p. 3.
  5. B. Chertok 2012, pp. 3, 4.
  6. B. Chertok 2012, p. 4.

参考文献

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