アコ (リーヴ人)

アコリヴォニア語:Ako)は北方十字軍と戦った、リーヴ人の指導者である。

1200年の始め、アコはリーヴ人の全諸族のために、ドイツ人に対する蜂起を起こし、リトアニア人ポロツク公に援助を求めた。しかしアコはトゥライダ・リーヴ人(ru)の統治者・カウポ(ru)と共に打ち破られ、ついでダウガヴァ・リーヴ人(ru)も撃破された。ポロツク公国からの援軍はこれに間に合わなかった。捕虜となったリーヴ人の長老たちは、をはめられてリーガ城の穴蔵に投げ込まれた。村は焼かれ、人々は殺され、リヴォニアの地は破壊にさらされた[1][2][3]。アコの首はリガ司教アルベルト(ru)のもとへ送られた。また、リヴォニアは分割統治されることになった。

出典

  1. «Советская Латвия» (энциклопедия), Рига, Гл. ред. энц., 1985
  2. Завоевание ливских земель.
  3. Вторжение немцев на земли ливов. 12 ВЕК
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