アシル・アンプレール

アシル・アンプレール(Achille Emperaire, 1829年9月16日 - 1898年1月8日)は、フランスの画家。

アシル・アンプレール
Jean Joseph Achille Emperaire
1895年頃の写真
誕生日 1829年9月16日
出生地 フランス王国、エクス=アン=プロヴァンス
死没年 (1898-01-08) 1898年1月8日(68歳没)
死没地 フランスの旗 フランス共和国、エクス=アン=プロヴァンス
国籍 フランスの旗 フランス
芸術分野 画家
教育 アカデミー=シュイス

生涯

アシル・アンプレールは、1829年、フランスのブーシュ=デュ=ローヌ県エクス=アン=プロヴァンスで生まれた。生まれつき、体が小さく、背骨が曲がった障害を負っていた[1]。

地元で、1844年から1856年にかけて、絵の勉強をした[2]。

1857年以降は、パリに行き、トマ・クチュールの画塾に通うようになった[2]。生活は苦しかったが、成功に対し貪欲であった。彼が書いた手紙には、「たまに食事に80サンチームかけられるような時は、大宴会のような気持ちだ。そのほかの時は、食事を抜くために、パンくずとワインと砂糖で空腹を紛らわせている。」とある[2]。また、「パリは巨大な墓場のようなもので、多くの人にとっての夢だ。生き残れる者は少ないが、私を信じてほしい。」とも書いている[2]。

パリで最初に展覧会に出展しようとしていた前日、彼はキャンバスにワニスをかけたところ、翌日、作品はひび割れていた。これがトラウマとなり、彼はその後ワニスを使うのをやめてしまった。彼の作品の多くが色あせてしまったのは、このためである[3]。ルーヴル美術館から作品の注文を受け、これにより1000フランの大金を得た。彼は、その金で、借金を返し、1873年10月、エクスに戻った[4]。この年、エクスでジョワシャン・ガスケと出会い、生涯の親友となった。

1881年と1882年、再びパリを訪れ、フランス画家自由協会の会員となったが、1873年以降はほとんどエクスを離れることがなかった。エクスでは、ル・トロネに絵を描きに行くのを好んだ[2]。強情な性格で、ガスケは、「揺るぎない勇敢さとプライドを持っている」と評している[5]。

セザンヌによるアンプレールの肖像画(オルセー美術館)。

1861年、パリのアカデミー・シュイスでポール・セザンヌと親しくなったが、セザンヌの画風とは一線を画した[1][6]。裸体画や風景画では、厚塗りを好んだ[1]。美術史家ジョン・リウォルドは、アンプレールは「セザンヌの影響を免れることができた人物であり、彼の作品には驚くべき個性と独自の世界が表れている」と評している[7]。アンプレールは、ティツィアーノ・ヴェチェッリオやエドゥアール・マネを敬愛していた[8]。

1898年1月8日に死去した[9]。

脚注

  1. “Achille EMPERAIRE (1829 - 1898)”. Artistes Provencaux. 2015年6月20日閲覧。
  2. La Peinture en Provence, Alauzen, pages 243 to 245.
  3. Leaflets for exhibitions in the musée Granet.
  4. Alauzen, ibid.
  5. Joachim Gasquet, Cézanne, Bernheim, 1926.
  6. Achille Emperaire, musée d'Orsay.
  7. Cézanne, sa vie, son œuvre, son amitié pour Zola, John Rewald, 1939.
  8. F. Baille, Les Petits Maîtres d'Aix à la Belle Époque, pages 82 to 86.
  9. Alauzen, La Peinture en Provence
This article is issued from Wikipedia. The text is licensed under Creative Commons - Attribution - Sharealike. Additional terms may apply for the media files.