アライシュ

アライシュالعرائش al-ʿarāʾiš; ベルベル語派 ⴰⵄⵔⵉⵛ)は、モロッコタンジェ=テトゥアン=アル・ホセイマ地方アライシュ州の州都。ララシュ(Larache)との表記もされる。

アライシュ
العرائش
Larache
位置
アライシュの位置(モロッコ内)
アライシュ
アライシュ
アライシュ (モロッコ)
アライシュの位置(アフリカ内)
アライシュ
アライシュ
アライシュ (アフリカ)
座標 : 北緯35度11分 西経6度9分
行政
モロッコの旗 モロッコ
 地方 タンジェ=テトゥアン=アル・ホセイマ地方
  アライシュ州
  アライシュ
人口
人口 (2014年現在)
  町域 126,617[1]
  備考 国勢調査
その他
等時帯 中央ヨーロッパ時間 (UTC+1)
ナンバープレート 42[注釈 1]
公式ウェブサイト : https://www.assilah.net/home

概要

モロッコ北部にあり、タンジェの南約70kmに位置し、大西洋に面した港町である。農業の発展により急速に近代化が進んでいる。周辺の盆地にはモロッコで重要な農作地帯がある[1]

アライシュの北にはルーコス川が流れている。

気候

ケッペンの気候区分地中海性気候(Csa)に区分され、10月から4月頃までは気温が下がり降水量が増加する。5月から9月までは降水量が少なく乾燥し気温が高くなる。アメリカ海洋大気庁によると平均年間総降雨量は約700mmであり冬の平均最低気温は約8℃、夏の平均最高気温は約28℃である。

アライシュ (北緯35度9分46秒 西経6度7分00秒)(1991–2020)の気候
1月2月3月4月5月6月7月8月9月10月11月12月
最高気温記録 °C°F 25.2
(77.4)
29.3
(84.7)
33.8
(92.8)
33.5
(92.3)
42.8
(109)
42.9
(109.2)
45.4
(113.7)
45.2
(113.4)
43.0
(109.4)
38.1
(100.6)
34.0
(93.2)
27.9
(82.2)
45.4
(113.7)
平均最高気温 °C°F 16.7
(62.1)
17.5
(63.5)
19.7
(67.5)
21.0
(69.8)
23.9
(75)
26.5
(79.7)
28.3
(82.9)
28.7
(83.7)
27.0
(80.6)
24.4
(75.9)
20.2
(68.4)
17.8
(64)
22.6
(72.7)
日平均気温 °C°F 12.4
(54.3)
13.2
(55.8)
15.2
(59.4)
16.5
(61.7)
19.4
(66.9)
21.7
(71.1)
23.8
(74.8)
24.2
(75.6)
22.6
(72.7)
20.1
(68.2)
16.0
(60.8)
13.7
(56.7)
18.2
(64.8)
平均最低気温 °C°F 8.2
(46.8)
8.8
(47.8)
10.6
(51.1)
12.2
(54)
14.8
(58.6)
17.5
(63.5)
19.2
(66.6)
19.6
(67.3)
18.2
(64.8)
15.7
(60.3)
11.8
(53.2)
9.5
(49.1)
13.8
(56.8)
最低気温記録 °C°F −3.0
(26.6)
−0.6
(30.9)
0.9
(33.6)
5.6
(42.1)
7.0
(44.6)
10.5
(50.9)
13.0
(55.4)
13.5
(56.3)
11.9
(53.4)
7.2
(45)
2.8
(37)
1.3
(34.3)
−3
(26.6)
降水量 mm (inch) 104.7
(4.122)
69.6
(2.74)
64.2
(2.528)
68.3
(2.689)
30.2
(1.189)
5.1
(0.201)
0.8
(0.031)
2.0
(0.079)
21.7
(0.854)
83.5
(3.287)
129.1
(5.083)
121.3
(4.776)
700.5
(27.579)
平均降水日数 (≥1.0 mm) 7.8 7.4 7.2 6.9 4.1 0.8 0.2 0.4 2.3 6.5 8.1 8.9 60.6
出典:アメリカ海洋大気庁[2]

歴史

メディナ

紀元前11世紀頃にフェニキア人によって設立された古代都市リクス、現在のアライシュの東)があった[3]クラウディウス皇帝の時代にローマ帝国マウレタニア・ティンギタナ属州となった[4]。その後、リクスが衰退しルーコス川の対岸に現在のアライシュである新都市が建設される[4]

1471年、ポルトガル人が477隻の3万人の 軍勢を率いてアシラーを占領した影響でアライシュは人口が減少し衰退した。その20年後にはワッタース朝によって要塞化された。1504年にはポルトガルに占領されたものの、1578年にはサアド朝スルターンのアフマド・マンスール・ザハビーによって占領される[4]1610年からアライシュはスペイン領となったものの、1689年にはアラウィー朝スルタンムーレイ・イスマーイールによってアライシュは再びアラウィー朝の支配下となった[3]

1911年スペイン軍がアライシュに上陸した。アライシュのスペイン保護領としての歴史は1956年まで続き[3]その間に、リベラシオン広場やスペイン広場の建設、新たな市の大通りや動脈の建設という都市計画が進められて全ての面で変貌を遂げた

交通

高速道路

  • A5 - アライシュの東に走る高速道路。

国道

姉妹都市

関連項目

脚注

注釈

出典

  1. Monographie provinciale de Larache 2019 (フランス語). 高等計画委員会. 2024年2月8日閲覧。
  2. Larache Climate Normals 1991–2020”. アメリカ海洋大気庁. 2024年2月8日閲覧。
  3. Province de Larache (フランス語). 北部振興開発庁. 2024年2月9日閲覧。
  4. Larache, une histoire gravée dans la roche (フランス語). le360. 2024年2月9日閲覧。
  5. Villes jumelées (フランス語). コンピエーニュ. 2024年2月9日閲覧。
  6. BARBATE Y LARACHE FIRMAN UN NUEVO ACUERDO DE COOPERACIÓN CULTURAL (スペイン語). バルバテ. 2024年2月9日閲覧。
  7. MUNICIPIOS HERMANADOS (スペイン語). アルムニェーカル. 2024年2月9日閲覧。
This article is issued from Wikipedia. The text is licensed under Creative Commons - Attribution - Sharealike. Additional terms may apply for the media files.