アリックス・ド・クルトネー

アリックス・ド・クルトネー(Alix de Courtenay, 1160年 - 1218年2月12日)は、フランスの貴族女性。ピエール1世・ド・クルトネーの娘で、ラテン皇帝ピエール2世の妹。2番目の夫アングレーム伯エマール・タイユフェルとの間に後のイングランド王妃イザベラ・オブ・アングレームを産んだ。

アリックス・ド・クルトネー
Alix de Courtenay

出生 1160年
死去 1218年2月12日
配偶者 ラ・フェルテ=ゴシェ領主アンドレ
  ジョワニー伯ギヨーム1世
  アングレーム伯エマール・タイユフェル
子女 ピエール
イザベル
家名 クルトネー家
父親 ピエール1世・ド・クルトネー
母親 エリザベート・ド・クルトネー

生涯

アリックスは1160年に、ピエール1世・ド・クルトネーとルノー・ド・クルトネーの娘エリザベートの間に次女として生まれた[1]。アリックスの家族はフランスで最も高名な一族の一つで、父方の祖父母はフランス王ルイ6世とアデル・ド・サヴォワであった。また、長兄ピエール2世は1216年にラテン皇帝となった。

アリックスの最初の夫はシャンパーニュのラ・フェルテ=ゴシェ領主アンドレで、1169年以降に結婚した[2]。1177年のアンドレの死後、アリックスはジョワニー伯ギヨーム1世と結婚した[3]。この結婚により、後にジョワニー伯となるピエール(1222年没)が生まれた。しかし1184年ごろに夫婦は離婚した。1180年の特許状には、ギヨーム1世がアリックスの同意を得てポンティニー修道院に領地を寄付したことが記録されている。アリックスは1186年ごろに、エマール・ダングレームと結婚した[4]。同年、エマールは兄ギヨーム5世の跡を継いでアングレーム伯となった。この結婚により、イザベル(1188年頃 - 1246年)が生まれた。エマールは1202年6月16日に亡くなり、娘のイザベルが跡を継いだ。イザベルは1200年にイングランド王ジョンと結婚した。

アリックスは1218年2月12日に57歳または58歳で死去した[5]。

脚注

  1. Vincent 1999, p. 175.
  2. Vincent 1999, p. 176.
  3. Vincent 1999, pp. 176–177.
  4. Vincent 1999, p. 171.
  5. Molinier, Obituaires de la Province de Sens 1(1) (Recueil des Historiens de la France, Obituaires 1) (1902) を参照。xxxi–xxxii(現在では彼女の名前はアレまたはアリックスであったとされている。彼女は本書の3つの死亡記事で言及されている。彼女の死はサン・ヴィクトールの死亡記事では2月11日、オテル・デュー・ド・プロヴァンの死亡記事では同月12日、そしてサンスのポプランのハンセン療養所の訃報では1月22日つまり2月の暦の11日と記されている。私は彼女が2月11日に亡くなったと結論付けているが、ポプランの死亡記事に記されている2月の暦の11日は、2月11日との混同から生じたものと言える。)、542(サン・ヴィクトール・ド・パリ修道院: 「III id. febr. [2月11日]、アングレーム女伯アデライード [1218]。私たちはその好意により10ポンドを受け取った。」)、928(オテル・デュー・ド・プロヴァン: 「前日 [2月12日]、私たちの最愛のアングレーム女伯アレシス [1218] 死去。彼女は私たちに多くの品物をもたらし、最終的には2頭の馬と100ポンドをもたらし、私たちはそれを使って48エーカーの森をオルベタ近くに購入した。」)、972(サンスのポプランのハンセン療養所: 「XI kal. [1月22日]、アングレーム女伯死去。彼女は記念日に毎年私たちに100シリングを贈ってくれた。」)

参考文献

  • Vincent, Nicholas (1999). “Isabella of Angouleme:John's Jezebel”. In Church, S. D.. King John: New Interpretations. The Boydell Press
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