アルブレヒト・フォン・ヴュルテンベルク

アルブレヒト・フォン・ヴュルテンベルク(ドイツ語: Albrecht von Württemberg, 1865年12月23日 - 1939年10月31日)は、ヴュルテンベルク王国の王族で、ドイツ帝国の元帥。

アルブレヒト
Albrecht
ヴュルテンベルク家家長
在位 1921年10月2日 - 1939年10月31日

全名
称号 ヴュルテンベルク公
敬称 殿下
出生 (1865-12-23) 1865年12月23日
オーストリア帝国の旗 オーストリア帝国、ウィーン
死去 (1939-10-31) 1939年10月31日(73歳没)
ナチス・ドイツの旗 ドイツ国、ヴュルテンベルク自由人民州アルツハウゼン、アルツハウゼン城
埋葬 ナチス・ドイツの旗 ドイツ国、ヴュルテンベルク自由人民州アルツハウゼン
配偶者 マルガレーテ・ゾフィー
子女
家名 ヴュルテンベルク=アルツハウゼン家
父親 フィリップ
母親 マリー・テレーゼ
宗教 キリスト教カトリック教会

生涯

1865年、ヴュルテンベルク公フィリップ(ヴュルテンベルク王フリードリヒ1世の弟アレクサンダーの孫息子)とその妻のオーストリア大公女マリー・テレーゼ(テシェン公アルブレヒトの長女)の間の長男として、ウィーンで生まれた。

第一次世界大戦が始まると、アルブレヒトはドイツ第4軍の司令官に就任し、1914年8月のアルデンヌの戦いでドイツ軍を勝利に導いた。この勝利の後、第4軍はマルヌ会戦に参戦し、1914年10月にはフランドルの戦線に送り込まれた。この地でアルブレヒトは戦闘を指揮した(イーゼルの戦い)。また、初めて毒ガスが大規模な作戦として使われた第二次イーペルの戦いでもアルブレヒトは指揮官を務めた。1915年8月、プール・ル・メリット勲章を受章し、1916年8月には元帥に任命された。1918年11月、休戦協定が結ばれるまでアルブレヒトは西部戦線における南部地域の最高責任者だった。

アルブレヒトは男子のないヴュルテンベルク王ヴィルヘルム2世の推定相続人であったが、第一次世界大戦におけるドイツの敗北とそれに続くドイツ革命によってヴィルヘルム2世が退位を余儀なくされたため、実際に王位を継ぐことはできなかった。1921年、ヴィルヘルム2世が死去すると、アルブレヒトがヴュルテンベルク家の家長となった。

1939年、アルツハウゼン城で死去。長男のフィリップ・アルブレヒトが家督を継いだ。

子女

1893年1月24日、ウィーンでオーストリア大公カール・ルートヴィヒの長女マルガレーテ・ゾフィーと結婚した。間に3男4女を儲けたが、マルガレーテ・ゾフィーは1902年に死去し、長女マリア・アマーリア、次女マリア・テレーザ、三女マリア・エリーザベトは早世している。

マルガレーテ・ゾフィーとアルブレヒト
アルブレヒト・フォン・ヴュルテンベルク

1865年12月23日 - 1939年10月31日

請求称号
先代
ヴィルヘルム2世
— 名目上 —
ヴュルテンベルク王
1921年10月2日 – 1939年10月31日
次代
フィリップ・アルブレヒト
爵位・家督
先代
ヴィルヘルム2世
ヴュルテンベルク家家長
1921年10月2日 – 1939年10月31日
次代
フィリップ・アルブレヒト
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