アレクサンドラ・ブリャチスラヴナ

アレクサンドラ・ブリャチスラヴナ(ロシア語: Александра Брячиславна)は、ポロツク公ブリャチスラフの娘である。また、いくつかの史料には名をパラスケヴァと記すものがある。

アレクサンドラ・ブリャチスラヴナ
Александра Брячиславна
ウラジーミル大公妃
アレクサンドラとアレクサンドル・ネフスキーの結婚
在位 1252年 - 1263年

出生 13世紀
埋葬 ウラジーミル、ウスペンスキー・クニャジーニン・モナストィリ
配偶者 ウラジーミル大公アレクサンドル・ネフスキー
子女 ヴァシリー
ドミトリー
アンドレイ
ダニール
エヴドキヤ
家名 リューリク家
父親 ポロツク公ブリャチスラフ

生涯

1238年にノヴゴロド公アレクサンドル(後世にアレクサンドル・ネフスキーと称される)と結婚し[1]、間に複数の子を成した。

没後はウラジーミルのウスペンスキー・クニャジーニン・モナストィリ(ru)(直訳:生神女就寝祭の - 公妃の - 修道院)に葬られた[2][注 1]。現ロシア正教会のウラジーミル管区(ru)では、ユリウス暦11月23日(グレゴリオ暦12月6日)をアレクサンドラの記憶日としている。なお修道名はおそらくヴァッサであったと考えられている。

子女

夫アレクサンドルとの間に以下の子がいる。

脚注

注釈

  1. 原語(ロシア語)の意味に関しては、ウスペンスキー、クニャージを参照されたし。

出典

  1. Александра Брячиславна // Русский биографический словарь — СПб.: 1896. — Т. 1. — С. 114.
  2. Свято-Успенский Княгинин женский монастырь. Святыни под спудом.

参考文献

  • Карпов А. Александр Невский. — М.: Молодая гвардия, 2010. — С. 89.
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