アンダーナッハ

アンダーナッハAndernach)は、ドイツ連邦共和国南西部のラインラント=プファルツ州マイエン=コブレンツ郡に存在する市。ライン川左岸沿い、コブレンツの北 21kmに位置する。

紋章 地図
(郡の位置)
基礎情報
連邦州:ラインラント=プファルツ州
郡:マイエン=コブレンツ郡
連合自治体:連合自治体に属さない市
緯度経度:北緯50度26分23秒 東経07度24分06秒
面積:53.23 km²
人口:

30,126人(2021年12月31日現在) [1]

人口密度:566 人/km²
平均の標高:海抜 60 m
郵便番号:56626
市外局番:02632, 02636 (ケル地区)
ナンバープレート:MYK, MY
自治体コード:07 1 37 003
市の構成:5 小街区
市庁舎の住所:Läufstraße 11
56626 Andernach
公式ウェブサイト:www.andernach.de
行政
首長:Achim Hütten
郡内の位置

ペレンツ連合自治体 (: Verbandsgemeinde Pellenz) の行政庁所在地である。

歴史

石器時代初期以来、人が居住していたとみられる。紀元前1世紀 ティベリウス帝治下、ケルト人集落の側にローマの要塞が置かれた。建築資材等として需要の多かったライン流域の玄武岩と凝灰岩、さらに陶器や穀物の交易地としても重要な場所であり、後にはここでワインと魚の取引もされた。280年ないし290年頃に強固な市壁が築かれた。480年フランク族の所有するところとなった。6世紀から7世紀初めにかけてメロヴィング家の諸王はこの地に置かれた国王荘館・王宮(Königshof, Pfalz)を利用した。王領地アンダーナッハは1167年フリードリヒ1世バルバロッサによりケルン大司教の所有するところとなった(1794年まで)。しかし教区教会はトリーア大司教のものとされた。1171年商人層に対して裁判における重要な地位が認められ、14世紀初めにはツンフトが市政の一翼を担った。1522年市民の代表者が市参事会に影響力をもつ機関が設けられた。最盛期の12世紀13世紀には市壁の拡張が行われ、市街地は倍増した。ロマネスク様式の美しい教会リープフラウエン教会(Liebfrauenkirche)は1200年頃に建設が始まったとされる。現存する聖俗の諸建築は当時の繁栄ぶりを今日に伝えている。経済面でのユダヤ人の役割が大きかった。15世紀にラテン語学校が設置された。宗教改革の時期、再洗礼派の同調者が多かった[2]

Andernachの10世紀の表記はAndarnach、745年の表記はAndernacum。これは4世紀のケルト・ラテン語表記Antunnacumに由来する。Antunnacumとは、ケルトのAntunnus(推定形)という名の人物の居住地を意味する[3]

姉妹都市

出身有名人

参考文献

  1. Statistisches Landesamt Rheinland-Pfalz – Bevölkerungsstand 2021, Kreise, Gemeinden, Verbandsgemeinden
  2. Lexikon des Mittelalters. Bd. I. München/Zürich: Artemis 1980 (ISBN 3-7608-8901-8), Sp. 595-596. - Michael Imhof / Stephan Kemperdick:  Der Rhein. Kunst und Kultur von der Quelle bis zur Mündung. Darmstadt: Wissenschaftliche Buchgesellschaft 2004 (ISBN 3-534-17215-9), S. 118.
  3. Dieter Berger: Duden, geographische Namen in Deutschland: Herkunft und Bedeutung der Namen von Ländern, Städten, Bergen und Gewässern. Mannheim/Leipzig/Wien/Zürich: Dudenverlag, 1993 (ISBN 3-411-06251-7), S. 38.

外部リンク

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