アントニス・サマラス

アントニス・サマラス[1](ギリシャ語:Αντώνης Σαμαράς、英語:Antonis Samaras、1951年5月23日 - )は、ギリシャの政治家、経済学者。首相、新民主主義党党首を務めた。メッシニア県選出議会議員。財務大臣、外務大臣、文化大臣を歴任した。1993年に新民主主義党が政権を失うきっかけとなった論争を起こしたことで知られている。2004年に同党へ復党し、2009年に大接戦の末に第7代党首に就任した[2]。

アントニス・サマラス
Αντώνης Σαμαράς
2012年5月7日
生年月日 (1951-05-23) 1951年5月23日(72歳)
出生地 ギリシャの旗 ギリシャ王国 アテネ
出身校 アテネ大学
アマースト大学
ハーバード大学
所属政党 新民主主義党
配偶者 ゲオルギア・クレティコス
子女 2人
サイン

在任期間 2012年6月20日 - 2015年1月26日
大統領 カロロス・パプーリアス

新民主主義党
第7代党首
在任期間 2009年11月30日 - 2015年7月5日
首相 ゲオルギオス・アンドレアス・パパンドレウ
ルーカス・パパデモス
パナギオティス・ピクラメノス
アントニス・サマラス
アレクシス・ツィプラス

ギリシャの旗 ギリシャ
野党党首
在任期間 2009年11月30日 - 2011年11月11日
首相 ゲオルギオス・アンドレアス・パパンドレウ

ギリシャの旗 ギリシャ
文化スポーツ大臣
在任期間 2009年1月8日 - 2009年10月6日
首相 コスタス・カラマンリス

在任期間 1989年11月23日 - 1990年2月16日
1990年4月11日 - 1992年4月13日
首相 クセノフォン・ゾタキス
コンスタンディノス・ミツォタキス

その他の職歴
ギリシャの旗 ギリシャ
財務大臣

(1989年7月2日 - 1989年10月12日)

生い立ち

1951年5月23日にアテネに誕生し、母方の祖父であるステファノス・デルタスとその義理の父親のエンマヌイル・ベナキスによって設立されたアテネ大学に通う。1974年にアマースト大学より経済学の学位を得て卒業し、1976年にハーバード大学より経営学修士 (MBA) を取る。メッシニア県選出のギリシャ議会議員(1977年 - 1996年、2007年 - 現職)であり、これまでに財務、外務、文化大臣を歴任した。父は循環器学の教授であるコンスタンチン・サマラス博士で、母のレナ(旧姓はザナス)は小説家ペーネロペー・デルタの母方の孫娘である。兄のアレクサンドロスは建築家、父方の叔父であるゲオルゲ・サマラスは1950年代から1960年代の長期に渡って活躍したメッシニア県選出の議員であった。

政治家として

1977年よりメッシニア県より議会議員に連続して選出されてきた。1989年に財務大臣に就任し、その後コンスタンディノス・ミツォタキス政権下で外務大臣に就任、マケドニアとの名称をめぐる論争では強硬路線を主張した。この問題で1992年に外務大臣を退いた後、自らの政党「政治の春(ギリシア語: Πολιτική Άνοιξη)」を結党した。これは、新民主主義党よりも右寄りの政党であった。新民主主義党から議会議員が一人、サマラスの党に移籍したことで、新民主主義党は1993年に政権を失うこととなった。

政治の春は1993年ギリシャ議会総選挙において4.9パーセントを得票し、ギリシャ議会にて10議席を獲得した。1994年欧州議会議員選挙ではギリシャで8.7パーセントを得票して2議席を獲得した。しかし1996年ギリシャ議会総選挙では議会に議席を持つのに必要な得票数3パーセントよりも少ない2.94パーセントしか得票できず、党勢に陰りが見え始める。1999年欧州議会議員選挙にも打って出たが2.3パーセントしか得票できず、ヨーロッパ議会に議席を持つには足りない水準であった。

政治の春は2000年ギリシャ議会総選挙には候補者を立てず、サマラスは公然と新民主主義党を支援した。2004年ギリシャ議会総選挙の前に党を解散し、新民主主義党へと復党した。2004年欧州議会議員選挙で欧州議会議員(MEP)に当選した。

2007年ギリシャ議会総選挙ではメッシニア県からギリシャ議会議員に当選し、これに伴い欧州議会議員を辞職した。2009年1月には内閣改造に伴い文化大臣に就任し、任期中の2009年7月に新アクロポリス博物館を作った。2009年にメッシニアにて議員に再選。

2012年5月の組閣交渉

新民主主義党がギリシャ議会で第一党となった2012年5月ギリシャ議会総選挙の直後、サマラスはパプーリアス大統領に連立交渉をまとめて組閣するよう指示された[3]が、議会における他の党との厳しい交渉を1日行った末にサマラスは組閣を断念し、第二党となった急進左派連合のアレクシス・ツィプラス党首に組閣交渉を引き継いだ[4]。しかしその連立交渉も決裂し、1ヶ月後の再選挙となった。

首相就任

2012年6月ギリシャ議会総選挙で新民主主義党は再び議会第一党となり、パプーリアス大統領はサマラスに組閣を指示した。6月20日に全ギリシャ社会主義運動(PASOK)と反緊縮財政派ながら穏健派の民主的左翼との連立政権樹立で合意し、同日中に就任宣誓を行って首相に就任した[5]が、PASOKと民主的左翼は閣外協力に留まり、事実上の少数与党政権となった[6]。サマラスは就任直後の6月23日に網膜剥離の手術を受けるために入院し[7]、また財務大臣に指名したヴァシリス・ラパノスは就任宣誓直前に目眩・嘔吐・腹痛などの症状が出たため正式就任が延期となり[8][9]、6月25日に健康問題を理由にそのまま就任を辞退したため[10]、首相と財務大臣の両方が6月28・29日に行われるヨーロッパ連合首脳会議への欠席を余儀無くされるなど、前途多難な幕開けとなった。

新民主主義党の党首選挙

新民主主義党が2009年ギリシャ議会総選挙にて惨敗した後、コスタス・カラマンリス党首が辞意を表明。党首選挙を実施するよう促し、サマラスが立候補した。初期の世論調査では本命候補であったドラ・バコヤンニ前外務大臣・前アテネ市長と接戦を繰り広げた[11]。その後間も無くもう1人の党首選挙候補者で前政権で閣僚を務めていたディミトリス・アヴラモポロウスが党首選挙から撤退し、その代わりにサマラスを支持すると表明した。党大会では前例を踏襲せず、新しい党首を全国的規模の党員投票で決めることを決定した。サマラスの支持率は急上昇し、大本命として党首選挙を終えた。

2009年11月30日早朝、サマラスは新民主主義党の新党首に選出された[12]。初期の段階でサマラスの勝利はほぼ決定的なものとなり、対立候補であったバコヤンニは敗北を認め、サマラスに祝福の電話をかけた。党本部での演説で党首選出を受諾し、イデオロギー・組織の幅広い改革を行い、再び多数の支持を得ることを目指すことを公約した。2010年5月にバコヤンニは党の公式見解に反旗を翻し、ヨーロッパ連合と国際通貨基金による融資の前提となる緊縮財政政策に賛成したことでサマラスに党を除名されることになる。

サマラスが党首に就任した時点でのPASOKの党首はゲオルギオス・アンドレアス・パパンドレウ首相であった。サマラスとパパンドレウはアマースト大学の学生時代に寮のルームメイトであったが、政界では敵同士となった[13]。サマラスは2012年6月に首相に就任し、2人とも首相を経験することとなった。

参考文献

  1. アンドニス・サマラスとも言う。
  2. “ND heads for tense election showdown”. イ・カシメリニ. (2009年11月30日). http://www.ekathimerini.com/4dcgi/_w_articles_politics_100006_28/11/2009_112865 2009年11月30日閲覧。
  3. “Samaras tries to form Greek coalition”. Rthk.hk. 2012年6月18日閲覧。
  4. Petrakis, Maria (2012年5月8日). “Greek Government Mandate to Pass to Syriza as Samaras Fails”. ブルームバーグ. 2012年6月18日閲覧。
  5. “連立合意、新政権誕生へ ギリシャ、ユーロ圏残留”. 共同通信. (2012年6月21日). https://web.archive.org/web/20120624011421/http://www.47news.jp/CN/201206/CN2012062001001982.html 2012年6月21日閲覧。
  6. “緊縮派の新政権発足へ=サマラス氏が首相就任-左派2党が閣外協力・ギリシャ”. 時事通信. (2012年6月20日). http://www.jiji.com/jc/c?g=int_30&k=2012062001054 2012年6月21日閲覧。
  7. “サマラス首相はEU首脳会議に出席せず、医師の忠告で-首相府”. bloomberg.co.jp (ブルームバーグ). (2012年6月24日). http://www.bloomberg.co.jp/news/123-M647OD6JIJUO01.html 2012年6月26日閲覧。
  8. “ギリシャのサマラス新首相、EU首脳会議を欠席 外相らが代理出席”. AFPBB News (フランス通信社). (2012年6月25日). https://www.afpbb.com/articles/-/2886051?pid=9168240 2012年6月26日閲覧。
  9. “ギリシャ首相と次期財務相が入院、EU首脳会議を欠席へ”. ニューズウィーク. (2012年6月25日). http://www.newsweekjapan.jp/headlines/business/2012/06/76117.php 2012年6月26日閲覧。
  10. “ギリシャの新財務相、健康上の理由で就任を辞退”. CNN.co.jp (CNN). (2012年6月26日). http://www.cnn.co.jp/business/30007109.html 2012年6月26日閲覧。
  11. “Bakoyannis Holds Slim Lead in Greece’s ND Race”. Angus Reid. (2009年11月1日). http://www.angus-reid.com/polls/view/34406/bakoyannis_holds_slim_lead_in_greeceaas_nd_race 2012年6月18日閲覧。
  12. “Antonis Samaras is the new ND leader” (ギリシャ語). Athens News Agency. (2009年11月30日). http://www.ana-mpa.gr/anaweb/user/showplain?maindoc=8188357&maindocimg=8186710&service=7 2009年11月30日閲覧。
  13. “友か敵か ギリシャの命運を握る二人”. ウォール・ストリート・ジャーナル. (2011年7月28日). http://jp.wsj.com/World/Europe/node_280935/?nid=NLM20110729 2011年11月6日閲覧。

外部リンク

公職
先代
パナギオティス・ピクラメノス
ギリシャの旗 ギリシャ首相
第178代:2012年6月20日 - 2015年1月26日
次代
アレクシス・ツィプラス
先代
ゲオルギオス・アンドレアス・パパンドレウ
ギリシャの旗 野党党首
2009年11月30日 - 2011年11月11日
次代
アレクシス・ツィプラス
先代
ミハリス・リアピス
ギリシャの旗 文化スポーツ大臣
2009年1月8日 - 2009年10月6日
次代
パブロス・ゲルラノス
(文化・観光大臣)
先代
ゲオルギオス・パプーリアス
ゲオルギオス・パプーリアス
ギリシャの旗 外務大臣
第10代:1989年11月23日 - 1990年2月16日
第12代:1990年4月11日 - 1992年4月13日
次代
ゲオルギオス・パプーリアス
コンスタンディノス・ミツォタキス
先代
ディミトリス・ツォボラス
ギリシャの旗 財務大臣
1989年7月2日 - 1989年10月12日
次代
ゲオルギス・アガピトス
党職
先代
コスタス・カラマンリス
ギリシャの旗 新民主主義党党首
第7代:2009年11月30日 - 2015年7月5日
次代
キリアコス・ミツォタキス
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