アンナ・フォン・プロイセン (1576-1625)

生涯

アルブレヒト・フリードリヒは、ユーリヒ=クレーフェ=ベルク公ヴィルヘルム5世と妃マリア(神聖ローマ皇帝フェルディナント1世の娘)の娘マリー・エレオノーレとの間に7人の子をもうけていたが、2人の男子はいずれも夭折していた。そのため、アルブレヒト・フリードリヒの死後はその後見を務めていたブランデンブルク選帝侯家(同じホーエンツォレルン家の宗家にあたる)がプロイセンを相続するという契約がなされていたが、この相続契約を補強するものとして、選帝侯ヨアヒム・フリードリヒの長男ヨハン・ジギスムントとアルブレヒト・フリードリヒの長女アンナの結婚が取り決められた。アンナはまた、母方を通じてクレーフェ公領、マルク伯領、ラーヴェンスベルク伯領の相続権も有していた。

アンナとヨハン・ジギスムントは、1594年10月30日にケーニヒスベルクで結婚した。その後、1603年にアンナの四妹エレオノーレがヨアヒム・フリードリヒの後妻となり、1604年に次妹マリーがヨアヒム・フリードリヒの弟であるバイロイト辺境伯クリスティアンと結婚し、プロイセンとブランデンブルクの関係はさらに強化された。

1618年、父アルブレヒト・フリードリヒが死去すると、既に選帝侯位を継いでいた夫ヨハン・ジギスムントがプロイセン公も継承するが、翌1619年に自身も死去し、アンナとの間の長男ゲオルク・ヴィルヘルムがプロイセン公兼ブランデンブルク選帝侯となった。

子女

アンナはヨハン・ジギスムントとの間に4男4女をもうけた。

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