ウィリアム・キャヴェンディッシュ (1505-1557)

ウィリアム・キャヴェンディッシュ (Sir William Cavendish, MP, 1505年頃 – 1557年10月25日)はイングランド王国テューダー朝の政治家、騎士および廷臣である[1]。ウィリアムは宮廷を助けて巨万の富を築き、た修道院解散ではトマス・クロムウェルの修道院巡察官(visitors of the monasteries)の一人となった。1547年にサースク(Thirsk、ヨークシャー)選出の国会議員となった[2] 。

ウィリアム・キャヴェンディッシュ
サー・ウィリアム・キャヴェンディッシュ 1547年頃
生誕 1505年頃
死没 1557年10月25日
国籍 イングランド
職業 政治家、騎士、裁判官
肩書き サー
配偶者 マーガレット・ボストック
エリザベス・パーカー
エリザベス・ハードウィック
子供 16人
親 トマス・キャヴェンディッシュ
アリス・スミス
親戚 ジョン・キャヴェンディッシュ(曾祖父)

1547年に「ハードウィックのベス」ことエリザベス・ハードウィックと再婚して、1552年または1553年から夫婦でチャッツワース・ハウスの建設を始めるが、その完成はウィリアムの死後になった。

次男のウィリアム (1552年 - 1626年) は初代デヴォンシャー伯爵となったが、この爵位は財政難の国王ジェームズ1世から購入して得たものである。

来歴

ウィリアムはトマス・キャヴェンディシュ(1472年 - 1524年)とパドブルック・ホール(Padbrook Hall、サフォーク)のアリス・スミスの下の息子である。父トマスは、財務府裁判所(Court of Exchequer)の高位の会計官吏であるClerk of the Pipe(財務記録の管理者)だった 。

ウィリアムはサフォークのキャヴェンディッシュ村に所領を持っていたジョン・キャヴェンディッシュの曽孫である。ジョンはデヴォンシャー公爵家とニューカッスル公爵家に継承された「キャヴェンディッシュ」という家名の祖となった人物である。

生涯

ウィリアムはトマス・クロムウェルの修道院巡察官(visitors of the monasteries)の一人となった。国王ヘンリー8世が1530年代末に行った修道院解散でカトリック教会の財産を没収し国庫に移入した時である 。これは結果としてウィリアムの財政通として財務省に在職するという出世につながり、ウィリアムの財産につながった。ウィリアムは修道院解散の際に余計な富を不当に蓄財していると非難された。クロムウェルの失脚後、ウィリアムは第10代キルデア伯トマス・フィッツジェラルドの反乱(絹衣のトマスの乱)の間にイングランドに降伏した土地の調査と評価のためアイルランドに派遣された[3]。

ウィリアムはヘンリー8世の3番目の王妃ジェーン・シーモアの兄弟であるエドワードとトマスのシーモア兄弟と、更に彼らを通じてジェーン・グレイの一族ともつながっていたが、一方でまたメアリー王女に好意のしるしを送るようにも配慮していた。ウィリアムは1546年から1553年にかけてTreasurer of the Chamberに任命されたが、会計検査後、巨額横領のかどで告発された。ウィリアムの死だけが家族を不名誉から救った。

メアリー1世の治世中にトマス・ウルジー枢機卿に好意的な伝記が初めて出版された。それはヘンリー8世にウルジーの死の報を伝えた最側近の補佐官の視点から書かれたものだった。何世紀にもわたりウィリアムがその著者だと言われていたが、現在、歴史家はウィリアムの兄ジョージ・キャヴェンディッシュ (1494年 – 1562年) の作であるとしている。

家族

ウィリアム・キャヴェンディッシュは3人の妻との間に計16人の子をもうけた。

最初の妻はマーガレット・ボストックで、5子をもうけたが3人の娘しか生き残らなかった。

  • キャサリン コバム卿の息子トマス・ブルックと結婚
  • メアリー(1547年以降没)
  • アン 1561年、ヘンリー・ボイントン卿と結婚
  • マーガレット(1540年没)

1542年にエリザベス・パーカーと再婚した。3子をもうけたがすべて夭折した。1546年、エリザベスは娘を死産した後に亡くなった。

1547年に「ハードウィックのベス」ことエリザベス・ハードウィックと3度目の結婚をした[4] 。ウィリアムはサフォークにおける資産を売却し、ベスの故郷であるダービーシャーに居を移した。ウィリアムは1549年にチャッツワース・エステート(Chatsworth Estate)を購入し、そしてこの夫婦は1552年または1553年にチャッツワース・ハウスの建設を始めた[5]。

ウィリアムが没するまでの10年間に、彼らは8人の子をもうけ、6人が幼少期を生き延びた。

脚注

  1. "Cavendish, William (1505?-1557)" . Dictionary of National Biography (英語). London: Smith, Elder & Co. 1885–1900.
  2. https://www.historyofparliamentonline.org/volume/1509-1558/member/cavendish-sir-william-1505-57
  3. Lovell, Mary S. (2005). Bess of Hardwick, First Lady of Chatsworth. Little, Brown. p. 43
  4. Pearson, John, The Serpent and the Stag, (Holt, Rinehart and Winston, 1983), 6.
  5. Pearson, 18.
  6. アラベラはスコットランド王ジェームズ6世の父方の従妹であり、ジェームズに次ぐ有力なイングランドの王位継承権者だった。
  7. 当時のウィリアムはアラベラとは身分違いの身ではあったが、「九日間の女王」ことジェーン・グレイの妹キャサリン・グレイの孫であり、アラベラとウィリアムの結婚はヘンリー8世の姉妹の子孫同士の婚姻だった。

参考文献

  • Pearson, John, The Serpent and the Stag, Holt, Rinehart and Winston, 1983.
  • Brodhurst, F. (1907). "Sir William Cavendish 1557." Derbyshire Archaeological Journal, 29, pp. 81-102. Google Books
  • Cavendish, Sir William (c.1505-57), of Northaw, Herts. and Chatsworth, Derbys." HOP.
  • Cox, J.C. (1881). The Chronicles of the Collegiate Church Or Free Chapel of All Saints, Derby, pp. 130. Bemrose & Sons. Google Books
  • "Duke of Devonshire," (1790). The Peerage of England, Scotland and ireland, I, pp. 51-52. London. Google Books
  • Lee, S. (1887). Cavendish, William (1505?-1557) (DNB00). WikiSource.org
  • Lewis, M. (n.d.). "Sir William Cavendish, Burgess of Thirsk, Treasurer of the Chamber of King Henry VIII #37832, b. circa 1505, d. 25 Oct 1557," citing Richardson; Cokayne; Burke. ORTNCA. Web.[30]

外部リンク

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