エヴェレット・ハワード・ハント
エヴェレット・ハワード・ハント・ジュニア(英語: Everette Howard Hunt Jr.、1918年10月9日 - 2007年1月23日)は、アメリカ中央情報局(CIA)工作官、作家。
エヴェレット・ハワード・ハント Everette Howard Hunt Jr. | |
|---|---|
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| 生誕 |
Everette Howard Hunt Jr. 1918年10月9日 |
| 死没 |
2007年1月23日(88歳) |
| 出身校 | ブラウン大学 |
| 職業 | 中央情報局(CIA)職員 , 作家 |
プロフィール
CIA工作官
1918年10月9日にニューヨーク州ハンバーグに生まれ、1940年ブラウン大学卒。父親は共和党の職員で弁護士。
海軍、戦略事務局(CIAの前身)を経て1949年から1970年まではCIAの工作官。
CIAでは、メキシコシティ、東京、工作本部中南米部などで勤務し、モンテビデオ支局長、工作本部欧州部副部長を歴任。PBSUCCESS作戦、ピッグス湾事件、フィデル・カストロ暗殺計画(フィデル・カストロ暗殺未遂事件)に関与した。その後ハントは、リチャード・ニクソンの大統領再選委員会に勤務したことから、ニクソンの大統領再選後にホワイトハウスで働くこととなる。
東京での活動
東京には1954年6月から1956年夏まで在勤。公式の肩書はアメリカ陸軍極東司令部民間顧問部勤務であったが、実際の肩書はCIA北アジア司令部秘密作戦主任であった。滞在中は北朝鮮からの亡命者の誘導や、中国見本市のかく乱などを行った[1]。
ウォーターゲート事件

1972年に軍事専門家のダニエル・エルズバーグが、ニューヨーク・タイムズへ「ペンタゴン・ペーパーズ」として知られるベトナム戦争に関する極秘報告書を送った時、ニクソン政権は当惑を表明した。
同年6月17日深夜[2]にハントはニクソン大統領本人や大統領補佐官の指示のもと、ホワイトハウスの「鉛管工」("plumbers", 「情報の漏れ」をふさぐ責任を負った秘密工作班)の一員として、ジョージ・ゴードン・リディおよび他の者と共にウォーターゲートビルにある民主党全国委員会への侵入を指揮し、さらにエルズバーグが通院していた精神科医、ルイス・フィールディングのオフィスへの侵入の指揮を執った。
その後この事件は公になり、「ウォーターゲート事件」としてアメリカだけでなく世界を揺るがす大事件となる。ニクソン大統領はこの事件への関与を否定したものの責任を取り辞任し、ハント自身も1973年1月に共謀および盗聴の有罪判決を下され、刑務所で33か月服役した。
脚注
- CIA、東京の謀略 ウォーターゲートのハントが著書に『朝日新聞』1976年(昭和51年)4月8日朝刊、13版、23面
- “ウォーターゲート事件に関与した元CIA工作員、死去 - 米国”. フランス通信社 (2007年1月24日). 2017年12月31日閲覧。
- “大統領のスパイ : わがCIA20年の告白 ハワード・ハント 著,青木栄一 訳”. 国立国会図書館. 2017年12月31日閲覧。
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