エミール・グリフィス

エミール・グリフィスEmile Griffith、男性、1938年2月3日 - 2013年7月23日)は、アメリカ領ヴァージン諸島プロボクサーセント・トーマス島出身。元世界2階級制覇王者(ウェルター級ミドル級)。晩年にバイセクシャルであったことを明かした[1]

エミール・グリフィス
基本情報
本名 Emile Alphonse Griffith
階級 ウェルター級
ミドル級
身長 171cm
リーチ 183cm
国籍 アメリカ領ヴァージン諸島の旗 アメリカ領ヴァージン諸島
誕生日 (1938-02-03) 1938年2月3日
出身地 アメリカ領ヴァージン諸島の旗 アメリカ領ヴァージン諸島
セント・トーマス島
死没日 (2013-07-23) 2013年7月23日(75歳没)
死没地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国ニューヨーク州
スタイル オーソドックス
プロボクシング戦績
総試合数 112
勝ち 85
KO勝ち 23
敗け 24
引き分け 2
無効試合 1

来歴

1958年6月2日、プロデビュー。

1961年4月1日、25戦目で世界王座初挑戦。世界ウェルター級王者ベニー・パレットに挑戦し、13回KO勝ちで王座を獲得した。同王座の防衛に1回成功後の9月30日にパレットと再戦し、15回判定負けで王座から陥落した。

1962年3月24日、王者ベニー・パレットに再挑戦し、12回TKO勝ちで王座の奪回に成功した。パレットはリング上で昏睡状態となったまま病院に搬送されるも、意識が戻ることなく10日後の4月3日に死去した。試合を放送したABCは、このリング禍によりボクシング放送から撤退を決め、他の地上波放送局も後に続いた。地上波テレビ局がボクシングの中継を再開するのは1970年代になる。後日談として、このリング禍で40年以上グリフィスは罪悪感にさいなまれてたが、パレットの息子に会い抱きしめられ許しを得たことで長年の罪悪感から解放されたという、しかしパレット夫人からは面会を拒否され続け死ぬまでかなわなかった。

1963年3月21日、3度目の防衛戦でルイス・マヌエル・ロドリゲスと対戦し、15回判定負けで王座から陥落した。同年6月8日にロドリゲスと再戦し、15回判定勝ちで王座を奪回した。ちなみにこの試合は元々はボクシングのリングは周囲を3本のロープで囲っていたが、初めて周囲を4本のロープで囲んだ試合としても知られる[2]

1963年12月20日、ノンタイトルマッチでルービン・ハリケーン・カーターと対戦し、初回TKO負け。この試合はリングマガジン アップセット・オブ・ザ・イヤーに選出された。

1964年6月12日、ロドリゲスと3度目の対戦を行い、15回判定勝ちで王座の初防衛に成功した。その後も防衛を続け、計4度の防衛に成功した。1964年にはリングマガジン ファイター・オブ・ザ・イヤーに選出された。

1966年4月25日、世界ミドル級王者ディック・タイガーに挑戦し、15回判定勝ちで2階級制覇に成功した(ウェルター級王座は返上)。その後、2度の防衛に成功した。

1967年4月17日、3度目の防衛戦でニノ・ベンベヌチと対戦し、15回判定負けで王座から陥落した。この試合はリングマガジン ファイト・オブ・ザ・イヤーに選出された。同年9月29日にベンベヌチと再戦し、15回判定勝ちで王座を奪回した。1968年3月4日、ベンベヌチと3度目の対戦を行い、15回判定負けで王座から陥落した。

1969年10月18日、世界ウェルター級王者ホセ・ナポレスに挑戦し、15回判定負けで王座再獲得ならず。

1970年7月15日、ディック・タイガーとノンタイトルマッチで再戦し、10回判定勝ち。

1971年9月25日、世界ミドル級王者カルロス・モンソンに挑戦し、14回TKO負けで王座再獲得ならず。1973年6月2日、モンソンに再挑戦するも、15回判定負け。

1976年9月18日、WBC世界ジュニアミドル級王者エックハルト・ダッゲに挑戦し、15回判定負けで3階級制覇ならず。

1977年7月30日、アラン・ミンターと対戦し、10回判定負け。この試合を最後に引退した。

引退後はニュージャージー州の少年鑑別所の看守として働いていた。

1992年、ニューヨーク市のゲイ・バーを出てきたところを暴漢に襲われ瀕死の重傷を負う[3]

2013年7月23日 、米ニューヨーク州内の介護施設で死去。全面介護が必要なほど重度の認知症を患っていた。75歳没[4][5]

獲得タイトル

  • 世界ウェルター級王座(防衛0度)
  • WBA世界ウェルター級王座(1度目は防衛2度、2度目は防衛4度)
  • WBC世界ウェルター級王座(1度目は防衛0度、2度目は防衛4度)
  • WBA世界ミドル級王座(1度目は防衛2度、2度目は防衛0度)
  • WBC世界ミドル級王座(1度目は防衛2度、2度目は防衛0度)

関連項目

脚注

  1. The Shadow Boxer”. SI.com (2005年4月18日). 2013年12月20日閲覧。
  2. リングのロープはボクシング4本、プロレスは3本 62年米試合での死亡事故がきっかけで4本に”. 日刊スポーツ (2022年7月13日). 2022年7月13日閲覧。
  3. Junior, the Kid, the Fight”. N.Y.Times (2012年3月21日). 2013年12月20日閲覧。
  4. 元世界王者、E・グリフィス氏死去”. 産経新聞 (2013年7月25日). 2013年12月20日閲覧。
  5. グリフィス氏が死去 2階級で世界王者5度 MSN産経ニュース 2013年7月24日閲覧

外部リンク

前王者
ベニー・パレット
世界ウェルター級王者

1961年4月1日 - 1961年9月30日

次王者
ベニー・パレット
前王者
ベニー・パレット
世界ウェルター級王者

1962年3月24日 - 1963年3月21日

次王者
ルイス・マヌエル・ロドリゲス
前王者
N/A
WBC世界ウェルター級王者

1963年2月14日 - 1963年3月21日

次王者
ルイス・マヌエル・ロドリゲス
前王者
ルイス・マヌエル・ロドリゲス
WBA世界ウェルター級王者

1963年6月8日 - 1966年4月25日(返上)

空位
次タイトル獲得者
カーチス・コークス
前王者
ルイス・マヌエル・ロドリゲス
WBC世界ウェルター級王者

1963年6月8日 - 1966年4月25日(返上)

空位
次タイトル獲得者
カーチス・コークス
前王者
ディック・タイガー
WBA世界ミドル級王者

1966年4月25日 - 1967年4月17日

次王者
ニノ・ベンベヌチ
前王者
ディック・タイガー
WBC世界ミドル級王者

1966年4月25日 - 1967年4月17日

次王者
ニノ・ベンベヌチ
前王者
ニノ・ベンベヌチ
WBA世界ミドル級王者

1967年9月29日 - 1968年3月4日

次王者
ニノ・ベンベヌチ
前王者
ニノ・ベンベヌチ
WBC世界ミドル級王者

1967年9月29日 - 1968年3月4日

次王者
ニノ・ベンベヌチ
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