オスナ
オスナ(Osuna)は、スペイン・アンダルシア州セビリア県のムニシピオ(基礎自治体)。日本語ではオスーナとも表記される。
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| 州 | |
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| 県 | |
| 面積 | 592.49 km² |
| 標高 | 282m |
| 人口 | 17,973 人 (2012年)[1] |
| 人口密度 | 30.33 人/km² |
![]() Osuna スペイン内オスーナの位置 ![]() Osuna セビリア県内オスーナの位置 | |
地勢
オスナの面積は田園地帯を多く含み、ローム質の平地となっている。シエラ・スル山脈で産地となり、オリーブ栽培が行われている。市内にはサラド川とペイナード川が流れる。
年間平均気温は17.7℃で、冬は短く春秋は温暖である。
歴史
オスナには3000年ほど前から人が定住しており、後にウルソ(Urso)と呼ばれるようになった。紀元前44年から43年、マルクス・アントニウスはウルソにローマ植民都市の地位と、ゲネティウァ・ユリア(Genetiva Iulia)の正式名を与えた(一部の碑文に記載されている)。不完全ではあったが、植民都市の基本法を持っていた。大プリニウスは、植民都市をゲネティウァ・ウルバノルム・ウルソ(Genetiva Urbanorum Urso、NH, III.12)と書き残している。
イスラム支配時代、町はオソナ(Oxona)と呼ばれた。1239年、カスティーリャ王フェルナンド3世によって征服された。1264年、オスナはカラトラバ騎士団に与えられ、オスナのエンコミエンダ(委託地)となった。オスナはグラナダ王国に近いために、カスティーリャ=グラナダの軍事要衝地となった。15世紀、カラトラバの騎士たちはオスナをペドロ・テリェス・デ・ヒロンに与えた。ヒロンの子孫は、フェリペ2世によってオスナ公位を授けられた。
史跡

オスナ大学
- オスナ大学 - オスナ領主ペドロ・デ・ヒロンの命によりできた神学校が前身。1548年創立。広範囲な育英事業が行われたが、1824年に閉鎖された。
脚注
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