カルロス・アルベルト・ソーザ・ドス・サントス
サントスことカルロス・アルベルト・ソーザ・ドス・サントス(Carlos Alberto Souza dos Santos、1960年12月9日 - )は、ブラジル・ゴイアス州出身の元サッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはMF(ボランチ)。
| ||||||
|---|---|---|---|---|---|---|
| 名前 | ||||||
| 本名 | カルロス・アルベルト・ソーザ・ドス・サントス | |||||
| カタカナ | サントス | |||||
| ラテン文字 | Alberto Souza dos Santos | |||||
| 基本情報 | ||||||
| 国籍 |
| |||||
| 生年月日 | 1960年12月9日(63歳) | |||||
| 出身地 | ゴイアス州 | |||||
| 身長 | 176cm | |||||
| 体重 | 74kg | |||||
| 選手情報 | ||||||
| ポジション | MF | |||||
| ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj | ||||||
鹿島では、ややジーコやアルシンドの影に隠れがちであったが[1]、驚異的なまでの運動量で幅広くピッチを動き[2][3]、攻守に渡りチームを献身的に支え[4]、キャプテンシーにも優れ[2]、鉄人と呼ばれていた[5]。
経歴
アントラーズ
ボタフォゴではキャプテンを務めていたが[4]、ジーコの少ない運動量をカバーしサポート出来る存在として1992年に鹿島アントラーズに加入した[4]。1993年5月29日のガンバ大阪戦でJリーグ初ゴール[6]、6月5日横浜マリノス戦[7]、6月23日ヴェルディ川崎戦[8]、6月26日ガンバ大阪戦[9] でそれぞれゴールを決め、アルシンドと並びチームのファーストステージ優勝の最大の立役者となった[10]。リーグ戦では年間32試合8ゴールを決め、初代Jリーグベストイレブンに選出された[11]。アントラーズではジーコ不在時にキャプテンを務めた。同年7月17日にはJリーグオールスターサッカーに先発出場した[12]。1994年5月18日、第17節の名古屋グランパスエイト戦でのゴールは[13]アントラーズのJリーグ通算100ゴール目のメモリアルゴールとなった。1995年シーズンのアントラーズは、これまで在籍していたレオナルドに加え、ジョルジーニョを獲得、更にセカンドステージからモーゼル、マジーニョが加わることになると戦力外通告を受け、退団が決まった中、鹿島ホームでのファーストステージ最終戦となった、7月19日のベルマーレ平塚戦ではPKで得点を挙げ、鹿島でのラストを飾った[14]。
エスパルス
元アントラーズ監督で当時清水エスパルスの監督を務めていた、宮本征勝が獲得を希望し、エスパルスへ移籍[14]、5シーズン半プレーした。1996年にはリーグカップ決勝のヴェルディ川崎戦では前半に1ゴールを決め、PK戦でもPKを成功させて勝利[15]、清水の初タイトルとなるナビスコ杯優勝に貢献し[16]、 ナビスコ杯最優秀選手賞を受賞した[17]。1999年はセカンドステージ制覇に貢献したが、チャンピオンシップ、ジュビロ磐田との第2戦の延長PK戦でファビーニョと共にPKを失敗、チームは年間優勝を逃した。2000年のリーグカップ2回戦のヴィッセル神戸戦の第2戦では、スティーブ・ペリマン監督からFWとして起用され、2得点を決めたこともあった[14]。在籍中、2023年シーズンまでにチームに在籍した外国人選手とては最多となる160試合に出場した[18]。
その後
2001年からはヴィッセル神戸で1シーズンプレー、41歳まで現役を続け、2009年に三浦知良に塗り替えられるまでJリーグ最年長の記録だった[19]。Jリーグ通算265試合33ゴール、Jリーグカップでは55試合10ゴールの成績を残した[6]。2003年にザスパ草津でプレーし、JFL昇格に貢献し引退。同年には長年に渡るJリーグへの功績が評価され、Jリーグ功労選手賞を受賞した。
引退後は清水エスパルスやアルビレックス新潟のコーチを歴任した[20]。2017年以降は、リオデジャネイロのセッチ・ジ・アブリウで監督を務めていて、ブラジルサッカー連盟の公式ライセンスであるAライセンスも取得している。夢は日本のクラブで監督を務めることだとしている[21]。
所属クラブ
個人成績
| 国内大会個人成績 | |||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
| 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
| ブラジル | リーグ戦 | ブラジル杯 | オープン杯 | 期間通算 | |||||||
| 1981 | ゴイアス | セリエA | |||||||||
| 1982 | |||||||||||
| 1983 | |||||||||||
| 1984 | |||||||||||
| 1985 | |||||||||||
| 1986 | |||||||||||
| 1987 | ノヴォリゾンチーノ | SP州選手権 | |||||||||
| 1987 | ボタフォゴ | セリエA | |||||||||
| 1988 | |||||||||||
| 1989 | |||||||||||
| 1989 | カステロ・ブランコ | RJ州選手権 | |||||||||
| 1990 | |||||||||||
| 1991 | |||||||||||
| 1992 | |||||||||||
| 日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
| 1992 | 鹿島 | - | J | - | 10 | 3 | 3 | 2 | 13 | 5 | |
| 1993 | 32 | 8 | 6 | 0 | 5 | 0 | 43 | 8 | |||
| 1994 | 22 | 4 | 1 | 1 | 1 | 0 | 24 | 5 | |||
| 1995 | 25 | 5 | - | - | 25 | 5 | |||||
| 清水 | 18 | 3 | - | 1 | 0 | 19 | 3 | ||||
| 1996 | 27 | 1 | 15 | 1 | 3 | 0 | 45 | 2 | |||
| 1997 | 5 | 31 | 3 | 6 | 0 | 3 | 3 | 40 | 6 | ||
| 1998 | 30 | 4 | 5 | 1 | 4 | 2 | 39 | 7 | |||
| 1999 | J1 | 27 | 1 | 4 | 0 | 3 | 0 | 34 | 1 | ||
| 2000 | 27 | 4 | 5 | 4 | 5 | 1 | 37 | 9 | |||
| 2001 | 神戸 | 4 | 26 | 0 | 3 | 0 | 0 | 0 | 29 | 0 | |
| 2003 | 草津 | 8 | 関東2部 | 6 | 0 | - | 1 | 0 | 7 | 0 | |
| 通算 | ブラジル | セリエA | |||||||||||||| | ||||||||
| ブラジル | SP州選手権 | |||||||||||||| | |||||||||
| ブラジル | RJ州選手権 | |||||||||||||| | |||||||||
| 日本 | J1 | 265 | 33 | 55 | 10 | 28 | 8 | 348 | 51 | ||
| 日本 | 関東2部 | 6 | 0 | - | 1 | 0 | 7 | 0 | |||
| 総通算 | |||||||||||||| | ||||||||||
その他の公式戦
- 1993年
- Jリーグチャンピオンシップ 2試合0得点
- 1996年
- サントリーカップ 1試合0得点
- 1999年
- スーパーカップ 1試合0得点
- Jリーグチャンピオンシップ 2試合0得点
指導歴
- ザスパ草津選手兼コーチ(日本) 2003年
- エスタシオ大学サッカー部監督(ブラジル)2004年
- 清水エスパルスヘッドコーチ(日本)2005年
- アルビレックス新潟コーチ (日本) 2011年
- アングラ・ドス・レイスEC監督(ブラジル) 2015年
- 7 de Abril監督(ブラジル) 2017年 -
脚注
- Sports Graphic Number 332 1994年2月3日号 p.42-43
- サッカーマガジン 1994年1月5日-12日号 p .22-30
- Sports Graphic Number 332 1994年2月3日号 p.36-37
- サッカーマガジン 1993年5月22日 no.415号 別冊 p.6-8 ベースボールマガジン社
- “HISTORY of SHIMIZU S-PULSE since 1991 1995年”. www.s-pulse.co.jp 2020年4月8日閲覧。
- “Jリーグベストイレブン”. j-league 2020年4月8日閲覧。
- “93Jリーグサントリーシリーズ 第7節第1日”. j-league 2020年4月8日閲覧。
- “93Jリーグサントリーシリーズ 第12節第1日”. j-league 2020年4月8日閲覧。
- “93Jリーグサントリーシリーズ 第13節第1日”. j-league 2020年4月8日閲覧。
- サッカーマガジン 1993年8月19日 no.422号 142-143
- “サントス”. j-league 2020年4月8日閲覧。
- “93JリーグKodakオールスターサッカー”. data.j-league. 2020年4月21日閲覧。
- “94Jリーグサントリーシリーズ 第17節”. j-league 2020年4月8日閲覧。
- “「あんなジーコを見たのは最初で最後」 “鉄人”のブラジル人助っ人が明かす、神様が“勝者のメンタリティー”を注入した瞬間”. フットボールゾーン (2023年12月18日). 2023年12月19日閲覧。
- “96Jリーグヤマザキナビスコカップ 決勝戦=”. data.j-league 2020年4月8日閲覧。
- “HISTORY of SHIMIZU S-PULSE since 1991 1996年”. www.s-pulse.co.jp 2020年4月8日閲覧。
- “ナビスコカップ歴代優勝チーム”. /web.ultra-soccer.jp 2020年4月8日閲覧。
- “歴代外国人出場試合数ランキング1位 サントス”. FCHANNEL. 2023年4月16日閲覧。
- “清水エスパルス、歴代最強外国籍選手5人。シジマールの“クモ男”伝説、そして日本代表になった男も”. www.footballchannel 2020年4月26日閲覧。
- “[鹿島]OBのサントス氏がクラブハウスに。「トモダチがいっぱいだからとても楽しい」”. EG 2020年4月8日閲覧。
- “「僕の心の半分は白と赤」 ブラジル出身の“鉄人”が抱く「日本で監督をする」目標”. フットボールゾーン (2023年12月18日). 2023年12月19日閲覧。
- “新潟が鹿島や清水で活躍したサントス氏のコーチ就任を発表”. /web.gekisaka.jp 2020年4月8日閲覧。
外部リンク
- カルロス・アルベルト・ソーザ・ドス・サントス - WorldFootball.net (英語)
- カルロス・アルベルト・ソーザ・ドス・サントス - Transfermarkt.comによる選手データ (英語)
- カルロス・アルベルト・ソーザ・ドス・サントス - J.League Data Siteによる選手データ