カール・ヨハン・ファールクランツ

カール・ヨハン・ファールクランツ(Carl Johan Fahlcrantz、1774年11月29日 - 1861年11月29日)はスウェーデンの画家である[1]。「スウェーデンの風景画の父」と称される画家である。

カール・ヨハン・ファールクランツ
Carl Johan Fahlcrantz
誕生日 1774年11月29日
出生地 スウェーデン,Stora Tuna
死没年 1861年11月29日
死没地 スウェーデン,ストックホルム

生涯

スウェーデン中部・ダーラナ県のファールンに近いStora Tunaに牧師の息子に生まれた。弟に彫刻家となった Axel Magnus Fahlcrantz(1780–1854)と神学者、作家になった Christian Eric Fahlcrantz(1790–1866)がいる。父親の親族の多くが出版の仕事をしてい叔父のAxel Erik Valerius Fahlcrantz (1851-1925)は画家だった[2] [3] [4]。

父親は息子を牧師に育てようとしたが、美術に興味を持ち、16歳でストックホルムに出て、スウェーデン王立歌劇場の最初の舞台美術家、Johan Gottlob Brusellの弟子になった。1792年からスウェーデン王立美術院の美術学校で、装飾画家のPer Emanuel Limnelや風景画家のElias Martinに学んだ。フランス革命の混乱を逃れて1798年にストックホルムに移り、宮廷画家、アカデミーの教授となったフランスの風景画家、ルイ・ベランジェの指導を受け、風景画の大作を描いて注目された[5]。

1803年にスウェーデン王立美術院の会員に選ばれ、1805年に歴史画家のGustaf Erik Hasselgrenとともに国外留学の奨学金の受給資格を得て、イタリア留学ができる状況を待ったが、スウェーデンと敵対するナポレオンの勢力がヨーロッパを支配する状態が続き、実現はしなかった。留学奨学金は留学年限の間、スウェーデンの国内旅行の資金として国内の風景を描き、年間2点の作品をアカデミーに送るという形に変更された。1829年になって、ノルウェーを旅し、1829年にデンマークを旅したが、それまで国外へは出ることはなかった。

1815年に美術アカデミーの教授に選ばれ、デンマークやアメリカのニューヨークやフィラデルフィアの美術アカデミーの名誉会員に選ばれた。

作品

参考文献

  1. Erland Ros. “Carl Johan Fahlcrantz”. svenskakyrkan.se. 2010年8月25日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年3月1日閲覧。
  2. Bengt Hildebrandnnar Castrén. “Christian Erik Fahlcrantz”. Svenskt biografiskt lexikon. 2019年3月1日閲覧。
  3. Erik Vennberg. “Elias Brenner”. Svenskt biografiskt lexikon. 2019年3月1日閲覧。
  4. Gunnar Castrén. “Sophia Elisabet Brenner (f. Weber)”. Svenskt biografiskt lexikon. 2019年3月1日閲覧。
  5. Konstnärslexikonett Amanda - Carl Johan Fahlcrantz
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