ガイウス・アエリウス・パエトゥス

ガイウス・アエリウス・パエトゥス(ラテン語: Gaius Aelius Paetus、生没年不明)は紀元前3世紀初頭の共和政ローマの政治家。紀元前286年に執政官(コンスル)を務めた。


ガイウス・アエリウス・パエトゥス
Gaius Aelius Paetus
出生 不明
死没 不明
出身階級 プレブス
氏族 アエリウス氏族
官職 執政官(紀元前286年)

出自

プレブス(平民)であるアエリウス氏族の出身である。アエリウス氏族は紀元前5世紀から活躍しておりプブリウス・アエリウス・パエトゥスが紀元前337年に氏族最初の執政官に就任している。ガイウスは氏族としてはプブリウスに続き二人目の執政官であるが、血縁関係は不明である。

経歴

紀元前286年、パエトゥスは執政官に就任。同僚執政官はマルクス・ウァレリウス・マクシムス・ポティトゥスであった[1]。ティトゥス・リウィウスの『ローマ建国史』のこの部分は本文が欠落しており、要約にもパエトゥスのことは触れられていない[2]。ディオニュシオスの『ローマ古代誌』、ディオドロスの『歴史叢書』といった主要な歴史書もこの年代は断片しか残っておらず、業績は不明である。

前年にはプレブス(平民)出身の独裁官(ディクタトル)クィントゥス・ホルテンシウスがホルテンシウス法を制定し、パトリキとプレブスの法的な平等が実現された。しかし、ホルテンシウスは任期中に死亡しており、大プリニウスはこの年も両者の紛争が続いたと述べている[3]。

また、この年には、護民官アクィリウスによって賠償責任に関する法であるアクィリウス法(en)が制定された可能性がある[4]。

脚注

  1. Der Neue Pauly, Stuttgardiae 1999, T. 12/1, c. 1099
  2. リウィウス『ローマ建国史』、XI
  3. 大プリニウス『博物誌』、XVI, 10.
  4. Broughton 1951, p. 186.

参考資料

関連項目

公職
先代
マルクス・クラウディウス・マルケッルス
ガイウス・ナウティウス・ルティルス
執政官
同僚:マルクス・ウァレリウス・マクシムス・ポティトゥス
紀元前286年
次代
ガイウス・クラウディウス・カニナ
マルクス・アエミリウス・レピドゥス
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