クリフトン・レジナルド・ウォートン (シニア)

クリフトン・レジナルド・ウォートン(Clifton Reginald Wharton, Sr.、1899年5月11日 - 1990年4月25日)は、アメリカ合衆国の外交官。国務省外交局の出身で大使になった初のアフリカ系アメリカ人である[1][# 1]。外交使節団の長に就任した初の黒人の外交局職員でもあり、ならびに外交使節団の長として初めてヨーロッパに派遣された黒人でもある[2]。

生涯

メリーランド州ボルチモアにて誕生。ボストン大学法科大学院にて、1920年に法学士号を取得。1923年に上級法学修士号を取得。1920年から1924年までボストンで弁護士業を経営[3]。

1924年に法律事務官として国務省外交局に入省[3]。黒人として初めて、筆記試験と面接試験の両方に合格した[4]。リベリアでモンロビア副領事(1925年-1929年)[3]、スペイン領カナリア諸島でラス・パルマス領事(1930年-1941年)[3]、リベリアでモンロビア領事兼二等書記官(1936年-1938年)[3]、フランス領マダガスカルでアンタナナリボ領事(1942年-1945年)[3]、ポルトガル領アゾレス諸島でポンタ・デルガダ領事(1945年-1949年)[3]、ポルトガルでリスボン領事(1949年-1950年)[3]およびリスボン総領事(1950年-1953年)[3]、フランスでマルセイユ総領事(1953年-1958年)[3]を歴任。

1958年から1960年まで駐ルーマニア公使[5]。1961年から1964年まで駐ノルウェー大使(1961年-1964年)[5]。

1990年にアリゾナ州フェニックス (アリゾナ州)で死去。

死後

2006年5月30日、アメリカ合衆国郵便公社は“功労アメリカ外交官”記念シリーズとして、ウォートンを描いた切手を発行した[1][6]。

備考

  1. 政治任用により大使となったフレデリック・ダグラスを除く。

出典

  1. “Clifton R. Wharton: U.S. Postage Stamps Commemorate Distinguished American Diplomats”. U.S. Deptartment of State. 2011年1月5日閲覧。
  2. “Frequently Asked Historical Questions”. U.S. Deptartment of State. 2011年1月5日閲覧。
  3. “Clifton R. Wharton”. NNDB. 2011年1月5日閲覧。
  4. Navraez, Alfonso A. (1990年4月25日). “Clifton R. Wharton, 90, Is Dead; Pioneering Black U.S. Diplomat.”. New York Times. http://www.nytimes.com/1990/04/25/world/clifton-r-wharton-90-is-dead-pioneering-black-us-diplomat.html 2011年1月5日閲覧。
  5. “Clifton Reginald Wharton (1899-1990)”. U.S. Deptartment of State. 2011年1月5日閲覧。
  6. Stump, Brice (2006年7月5日). “Wharton family is honored by stamp issuance”. 2007年9月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2007年1月1日閲覧。
外交職
先代
ロバート・ヘイヤー・セイヤー
在ルーマニアアメリカ合衆国大使
1958年3月7日 - 1960年10月21日
次代
ウィリアム・エイヴリー・クロウフォード
先代
フランシス・エリザベス・ウィリス
在ノルウェーアメリカ合衆国大使
1961年4月18日 - 1964年9月4日
次代
マーガレット・ジョイ・ティベッツ
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