クルテア・デ・アルジェシュ

クルテア・デ・アルジェシュ (ルーマニア語:Curtea de Argeş、ハンガリー語: Argyasudvarhely、ドイツ語:Argisch)は、ルーマニア、アルジェシュ県の都市。ファガラシュ山脈の谷を流れるアルジェシュ川右岸にあり、ピテシュティからトゥルヌ・ロシュ峠へ向けて鉄道が通る。

クルテア・デ・アルジェシュ
Curtea de Argeş
クルテア・デ・アルジェシュ聖堂
クルテア・デ・アルジェシュ聖堂
クルテア・デ・アルジェシュの市章
市章
位置
クルテア・デ・アルジェシュの位置の位置図
クルテア・デ・アルジェシュの位置
位置
クルテア・デ・アルジェシュの位置(ルーマニア内)
クルテア・デ・アルジェシュ
クルテア・デ・アルジェシュ
クルテア・デ・アルジェシュ (ルーマニア)
クルテア・デ・アルジェシュの位置(ヨーロッパ内)
クルテア・デ・アルジェシュ
クルテア・デ・アルジェシュ
クルテア・デ・アルジェシュ (ヨーロッパ)
座標 : 北緯45度08分21秒 東経24度40分45秒
行政
国  ルーマニア
 県 アルジェシュ県
 市 クルテア・デ・アルジェシュ
市長 Nicolae Diaconu
人口
人口 (2004年現在)
  市域 32,500人
その他
等時帯 東ヨーロッパ時間 (UTC+2)
夏時間 東ヨーロッパ夏時間 (UTC+3)

陶業と木材加工が、町の産業の中心となっている[1]。

歴史

20世紀初頭に描かれたクルテア・デ・アルジェシュ修道院

クルテア・デ・アルジェシュには鉄器時代から集落が存在していたが、記録に現れるのは14世紀からである[1]。言い伝えによると、13世紀初期に伝説上のワラキア公ラドゥ・ネグル公によってクンプルングの次のワラキア公国首都とされたという。そのために市名は宮廷を意味する。町の中心部には、13世紀に建造されたものだと言われるワラキア公の宮殿の廃墟が残る[1]。14世紀の間、エステルゴム大司教の管轄内のカトリック教会司教座がアルジェシュを包囲していたが、後には正教会がアルジェシュを奪った。

市には数か所の中世の教会があり、18世紀まで主教座が置かれていた。1512年から1517年にかけてネアゴエ・バサラブによって建立されたクルテア・デ・アルジェシュ聖堂が有名であり[1]、聖堂にはルーマニア王家の墓が置かれている。教会は外壁の彫刻と内部の壁画の美しさで知られている[1]。マノレ親方が人柱になってクルテア・デ・アルジェシュ聖堂を建てたという伝説がこの地に伝わり、伝説を元にしたバラードが作られた。

その他の重要な教会は、バサラブ1世公が建てたドムネアスカ教会(王立教会)である。2003年から2004年にかけて修繕が完了した。教会は石造要塞に似て、近隣の丘に建つ防衛塔へは地下納骨堂を通じてつながっている。ワラキア公宮殿の複合遺跡は今も見られる。この宮殿は、作家アレクサンドル・オドベスクが「Doamna Chiajna」の作中でふれている。

人口

  • 1900年: 4,210人
  • 2000年: 32,628人

脚注

  1. 佐々田、萩原「クルテヤ・デ・アルジェシュ」『東欧を知る事典』新訂増補、113-114頁

参考文献

  • 佐々田誠之助、萩原直「クルテヤ・デ・アルジェシュ」『東欧を知る事典』新訂増補収録(平凡社, 2001年3月)
This article is issued from Wikipedia. The text is licensed under Creative Commons - Attribution - Sharealike. Additional terms may apply for the media files.