クレイグ・ライアン
クレイグ・J・ライアン(Craig J. Ryan, 1952年8月15日 - )は、アメリカ合衆国カリフォルニア州出身の元プロ野球選手(外野手)。
| 基本情報 | |
|---|---|
| 国籍 |
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| 出身地 | 同・カリフォルニア州 |
| 生年月日 | 1952年8月15日(71歳) |
| 身長 体重 |
6' 3" =約190.5 cm 200 lb =約90.7 kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 右投左打 |
| ポジション | 外野手 |
| プロ入り | 1974年 MLBドラフト2巡目 |
| 初出場 | NPB / 1981年4月6日 |
| 最終出場 | NPB / 1981年5月31日 |
| 経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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経歴
カリフォルニア州立大学ノースリッジ校から1974年、ボルチモア・オリオールズに入団したが最高で3A止まりでメジャー・リーグへの昇格は果たせなかった[1]。1977年から2年間は、メキシカンリーグでもプレーした[2]。
1981年、近鉄バファローズに入団[1]。契約交渉が決裂して退団したチャーリー・マニエルに代わる選手として期待された。入団当初は「果たせなかった大リーガーの夢を、日本で一流の助っ人になって叶えてやる」と意気込んでいた。しかし、極端なアッパースイングが欠点となり[1]開幕から不振で、6月5日に球団からアイク・ハンプトンに代わり2軍降格を命じられる[1]。当初はこれを拒否していたが、「他球団へのトレードを考慮してほしい」との条件で2軍落ちを受け入れた[1]。ところが、二軍に合流する日となっていた15日に「やはりファームではヤル気がでない。帰国させてほしい」と球団に申し入れて認められたため、16日付けで任意引退での退団が発表され、18日にアメリカへ帰国した[1]。
詳細情報
年度別打撃成績
| 年 度 | 球 団 | 試 合 | 打 席 | 打 数 | 得 点 | 安 打 | 二 塁 打 | 三 塁 打 | 本 塁 打 | 塁 打 | 打 点 | 盗 塁 | 盗 塁 死 | 犠 打 | 犠 飛 | 四 球 | 敬 遠 | 死 球 | 三 振 | 併 殺 打 | 打 率 | 出 塁 率 | 長 打 率 | O P S |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1981 | 近鉄 | 30 | 76 | 71 | 8 | 17 | 2 | 1 | 4 | 33 | 14 | 0 | 0 | 0 | 0 | 5 | 0 | 0 | 10 | 2 | .239 | .289 | .465 | .754 |
| NPB:1年 | 30 | 76 | 71 | 8 | 17 | 2 | 1 | 4 | 33 | 14 | 0 | 0 | 0 | 0 | 5 | 0 | 0 | 10 | 2 | .239 | .289 | .465 | .754 | |
記録
背番号
- 42 (1981年)
出典
- 週刊ベースボール1981年7月6日号「12球団週間報告 近鉄バファローズ 焦点」p75
- https://www.baseball-reference.com/register/player.fcgi?id=ryan--001cra
参考文献
- 日本プロ野球記録大百科 2004(ベースボールマガジン社、2004年 ISBN 4-583-03804-6)p.1582。
関連項目
外部リンク
- Baseball-Reference 選手の通算成績と情報
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