クレードン・ホール

クレードン・ホール(英: Cleddon Hall)は、ウェールズのモンマスシャー州 トレレシュにある19世紀にヴィクトリア様式で建てられたカントリー・ハウスであり、以前は「レイヴンズクロフト(Ravenscroft)」として知られていた。19世紀後半、ここはアンバーレイ子爵とアンバーレイ子爵夫人の所有であり、末息子で哲学者のバートランド・ラッセルが1872年5月18日に生を受けたホールでもある。

クレードン・ホール
現地名
英語: Cleddon Hall
クレードン・ホール(2012年8月撮影)
種類邸宅
所在地イギリスの旗 イギリス
ウェールズの旗 ウェールズ
モンマスシャー州 トレレシュ
座標北緯51.7335度 西経2.7008度 / 51.7335; -2.7008
建築様式チューダー・リヴァイヴァル様式
管理者個人所有

歴史と説明

クレードン・ホールはトレレシュ村とルランドーゴ村沿いのワイ・バレー・ロードとの間のモンマスの北6マイル (9.7 km)に位置するワイ・バレーにある[1][2]。1870年、のちに「レイヴンズクロフト(Ravenscroft)」としてその名が知られるようになるこのホール[3]は、アンバーレイ子爵ジョン・ラッセルとその妻であるキャサリンが購入した[4]。2度に渡って英国首相を務めた長男の初代ラッセル伯爵ジョン・ラッセルとエディスバリー卿の娘である彼の妻はとても型破りな人物であった。古物研究家で系図学者のジョセフ・ブラッドニーは著書である『ノルマン人のウェールズ入国から現在に至るまでのモンマスシャー州の歴史』の中で2人について「定住した場所にいる愚かな人間との間にある人生観とは奇妙なまでに調和しない考えを有している」と説明している[注釈 1][4]。敬虔な無神論者かつ女性の権利と妊娠中絶支持者であった2人は子供達の家庭教師であるダグラス・スポルディングを伴ってこのホールで三人家庭を築いた[5]。1872年5月18日、彼らの息子であるバートランドはクレードン・ホールで生を受けた[6]。3歳になるかならないかのうちに両親を失くしたバートランドはロンドンにいる祖父母とともに暮らすことになった[7]。

夫のアンバーレイ子爵が提案した不動産購入に対して当初は納得しなかったキャサリン・ラッセルだが、その価値を評価すべくクレードン・ホールに赴いた上で「野性味と美しさにすっかり魅了されてしまった」という[1]。1967年に発表されたバートランドの自叙伝によれば、息子はこのホールの孤立した状況を見て「とても淋しいよ」と呟いたという[1]。カドゥはクレードンホールを指定建造物に登録せず、またペヴズナー建築ガイドシリーズの『グウェント州 / モンマスシャー州』編の中で、建築史家のジョン・ニューマンはこの邸宅について言及していない[8]。ウェールズ(コフレイン)国立記念物データベース内のウェールズ王立古代歴史記念物委員会ではこの邸宅を登録している[2]。なお、クレードン・ホールは今も個人所有の家として残されている[9]。

脚注

注釈

  1. ブラッドニーはアンバーレイ卿について「アンバーレイ卿の身長は5フィートと著しく低く、同様に知性も収縮されていた。」といった風に無礼にも程がある描写をしている[4]。

出典

  1. Turcon, Sheila. “Ravenscroft – The Homes of Bertrand Russell”. McMaster University. 2022年4月13日閲覧。
  2. "Cleddon Hall (36674)". Coflein. RCAHMW. 2021年4月13日閲覧。
  3. “Bertrand Russell”. BBC Wales (2008年12月13日). 2022年4月15日閲覧。
  4. Bradney 1992, p. 147.
  5. Shuttleworth 2016, p. 421.
  6. “Bertrand Russell – biography”. Nobel Institute. 2022年4月13日閲覧。
  7. “The Bloomsbury Companion to Bertrand Russell”. Bloomsbury Collections. 2022年4月13日閲覧。
  8. Newman 2000, pp. 576–579.
  9. Henry, Graham (2012年7月12日). “Nobel winner Bertrand Russell's Welsh birthplace on sale for £2m”. Wales Online. 2022年4月13日閲覧。

参考文献

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