コスメ・バスケス
コスメ・バスケス・スビアブレ(Cosme Vázquez Subiabre、1904年1月15日 - 1976年8月27日)は、スペイン・ポンテベドラ県モンダリス出身の元サッカー選手。ポジションはフォワードとミッドフィールダー[1][2]。
| ||||||
|---|---|---|---|---|---|---|
| 名前 | ||||||
| 本名 | コスメ・バスケス・スビアブレ | |||||
| 愛称 | マドリードの天使(Angel de Madrid) | |||||
| カタカナ | コスメ・バスケス | |||||
| ラテン文字 | Cosme Vázquez | |||||
| 基本情報 | ||||||
| 国籍 |
| |||||
| 生年月日 | 1904年1月15日 | |||||
| 出身地 | ポンテベドラ県モンダリス | |||||
| 没年月日 | 1976年8月27日 | |||||
| 選手情報 | ||||||
| ポジション | FW / MF | |||||
| ユース | ||||||
| 1921-22 |
| |||||
| 1922-25 |
| |||||
| クラブ1 | ||||||
| 年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
| 1925-1925 |
| |||||
| 1925-1929 |
| 17 | (15) | |||
| 1929-1931 |
| 16 | (4) | |||
|
| ||||||
| 代表歴2 | ||||||
| 1928-28 |
| |||||
| 1928-28 |
| |||||
|
1. 国内リーグ戦に限る。2019年1月7日現在。 2. 2019年1月7日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj | ||||||
経歴
チリ国籍の女性エメリナ・スビアレ・ペーニャの息子であり、相当に裕福な家庭で育ったという。工学を学んでいたが、サッカーに熱中して勉強を放棄してしまった。しかし点取り屋としての才能は本物であり、19歳だった1925年の11月、ガリシア州の「サンティアゴ・デ・コンポステーラ使徒杯」でその能力を発揮した。その直後にセルタ・デ・ビーゴでデビューするが、数年間を経て首都のアトレティコ・マドリードと契約した。
1925-26シーズンにカンペオナート・レヒオナル・セントロ(マドリード県の地域大会)で準優勝、チームに定着する。1926年5月26日、メスタージャでのコパ・デル・レイ1925-26準決勝で前所属のセルタと対戦。延長戦の末にバスケスの決勝点で3-2と勝利し決勝進出を決めた。だが、FCバルセロナに敗れ準優勝に終わった。
1928年6月、バスケスはアルゼンチン代表とウルグアイ代表のヨーロッパツアーに選手として参加した。しかしスペインでリーガ・エスパニョーラが創設される事を知り、マドリードへ戻った。初年度の1928-29シーズンには17試合出場15得点でランキング2位となった。翌年、バスケスはFWの相方であるルイス・オラソと共にレアル・マドリードに移籍。しかしここでは2シーズンで15試合4得点と沈黙してしまう。1931年、セグンダ・ディビシオンへ降格していたセルタへ復帰。レアル・ムルシア戦とカタルーニャFC戦で2得点するなどの活躍をした。
脚注
- “Cosme, Cosme Vázquez Subiabre - Futbolista”. www.bdfutbol.com. 2019年1月7日閲覧。
- Bacariza, Publicado por Marcos L.. “COSME VAZQUEZ”. 2019年1月7日閲覧。
This article is issued from Wikipedia. The text is licensed under Creative Commons - Attribution - Sharealike. Additional terms may apply for the media files.