コンデ=シュル=ノワロー

コンデ=シュル=ノワロー (Condé-sur-Noireau)は、フランス、バス=ノルマンディー地域圏、カルヴァドス県の旧コミューン。2016年1月1日より、周辺コミューンとの合併でコンデ=アン=ノルマンディー(Condé-en-Normandie)となった。

Condé-sur-Noireau


行政
国 フランスの旗 フランス
地域圏 (Région) バス=ノルマンディー地域圏
県 (département) カルヴァドス県
郡 (arrondissement) ヴィール郡
小郡 (canton) 小郡庁所在地
INSEEコード 14174
郵便番号 14110
市長(任期) パスカル・アリザール[1]
(2014年-2020年)
自治体間連合 (fr) fr:Communauté de communes Condé Intercom
人口動態
人口 5 279人
(2012年)
人口密度 421人/km2
住民の呼称 Condéens
地理
座標 北緯48度51分03秒 西経0度33分00秒
標高 平均:m
最低:72m
最高:173m
面積 12.53km2
Condé-sur-Noireauの位置(フランス内)
Condé-sur-Noireau
Condé-sur-Noireau
公式サイト www.conde-sur-noireau.com

地理

コンデ=シュル=ノワローはボカージュ・ノルマン地方に属する。そしてシュイス・ノルマンド地方、ボカージュ・フレリアン地方、ボカージュ・ヴィロワ地方と境界を接している。バス=ノルマンディーの景観地図によれば、この地は大部分がシュイス・ノルマンドの中に含まれる。その特徴は、地域の観光イメージを最も表すはっきりとした起伏のある風景である[2]。シュイス・ノルマンドの領域の南西部は、ヴィール川流域に分類される。人口集中地はフレールの北12km、ヴィールの東26km、ファレーズの西30km、カーンの南46kmのところにある[3]。

人口集中地を県道562号線が横切る。

コンデ=シュル=ノワローはオルヌ川流域にあたり、その支流ノワロー川が南東を流れる。コミューンの北西から流れるドリュアンス川は、合流する前に人口集中地を横切る。

コンデはバス=ノルマンディーの他の土地と同様に海洋性気候で、冷涼な夏と穏やかな冬がある。

由来

町の名は中世にはラテン語化されたCondatensem、1020年代にはCondetensem vicum、その後1106年から1135年にかけてCondati、1236年にはCondeとなった[4]。Condéの名は、ガロ=ローマ語のCONDĀTEがオイル語の中で通常の音声学上の進化を遂げたものである。この地名のタイプは、ガリア語のCondate(合流や再統合)からきている。これは多くのコミューンの名で見受けられ、決定要因は主として河川の名となっている。コンデ=シュル=ユイヌ、コンデ=シュル=イトン、コンデ=シュル=サルトなどがあたる。例外としてコンデ=シュル=リールとコンデ=シュル=スールがあり、川の名がついているものの川はコミューンを通過せず、むしろ一時的に2つの川に分かれる[5]。コンデ=シュル=ノワローの名は、したがってドリュアンス川とノワロー川の合流から派生する。

歴史

百年戦争中の1418年、町はイングランド軍によって陥落させられ、ジョン・ファストルフが知事となった。町はその後、ブルターニュのフージェールの町を攻撃するための拠点として、フランソワ・ド・シュリエンヌによって採用された。シャルル7世が町を奪還し、ノルマンディー公領全土を獲得したことから、百年戦争は終結へ向かった。

コンデは大規模に宗教改革が行われた最初の町の1つであった。16世紀、新教徒たちは町で数回の集会を開いた。1674年、彼らは地方教会会議を開催した。

ノワロー川とドリュアンス川は、コンデでの活動を好ましいものにした。18世紀以前の町は、ノワロー川上に2つの大きな製粉所があった。ドリュアンス川上には1つの製粉所があった。

18世紀以降、コンデの町は県で最も活気のある町の1つになった。リネン、ベッドリネン、アマの製造は、7000人あまりの労働者を支えていた[6]。カトラリー製造も有名だった。

フランス革命後の国民公会時代、町の名は単なるノワローに改名させられた[7]。

19世紀初頭、小さな水車がコンデに移ってきた。1860年代、町は大規模な繊維産業と経済発展が頂点に達していた(8000人の織工、55の油圧ミルがあった)。この発展を支えるために1868年にはシュイス・ノルマンド鉄道が建設され、1874年にはカーンと接続された。一方で、コンデでの活動は最初の困難にみまわれた。アメリカ合衆国の南北戦争による海上封鎖は、綿の供給路線の多くを破壊し、唯一紡績だけが1863年には活発だった。

第二次世界大戦では、コンデは最も悲劇的な経験をする。町は空爆によって95%が破壊され、252人の犠牲者が出た。町の復興は、1963年の市庁舎落成式で終わった。

人口統計

1962年 1968年 1975年 1982年 1990年 1999年 2007年 2012年
6231 6568 7287 7098 6309 5820 5603 5279

source=1999年までLdh/EHESS/Cassini[7]、2004年以降INSEE[8][9]

史跡

姉妹都市

ゆかりの人物

脚注

  1. "L'ancien maire de Condé-sur-Noireau Maurice Piard s'est éteint dimanche". ouest-france.fr. Ouest-France. 2014年12月27日閲覧。
  2. {{{1}}} (PDF) "www.basse-normandie.developpement-durable.gouv.fr (Dreal Basse-Normandie) - Les unités de paysage : Unité 7.3.2 : La Suisse normande" (PDF). 2013年10月14日閲覧。
  3. Distances routières les plus courtes selon Viamichelin.fr
  4. Ernest Nègre, Toponymie générale de la France (lire en ligne)
  5. René Lepelley, Noms de lieux de Normandie et des îles Anglo-Normandes, Paris, Bonneton,‎ (ISBN 2-86253247-9), p. 85
  6. François Lefaivre, Petite histoire de l'activité industrielle de Condé-sur-Noireau aux XIXe et XXe siècles, Condé-sur-Noireau, Éditions du Petit Chemin,‎ (ISBN 978-2-7546-0027-9), p. 11
  7. http://cassini.ehess.fr/cassini/fr/html/fiche.php?select_resultat=10118
  8. http://www.statistiques-locales.insee.fr
  9. http://www.insee.fr
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