ゴットフリート・ツー・ホーエンローエ=ランゲンブルク

ゴットフリート・ツー・ホーエンローエ=ランゲンブルク(Gottfried Prinz zu Hohenlohe-Langenburg, 1897年3月24日 - 1960年5月11日)は、ドイツの旧諸侯家の1つホーエンローエ=ランゲンブルク家の家長(1950年 - 1960年)。

ゴットフリート
Gottfried
ホーエンローエ=ランゲンブルク家
ホーエンローエ=ランゲンブルク侯世子ゴットフリート、1916年頃

全名
出生 1897年3月24日
ドイツの旗 ドイツ帝国
ヴュルテンベルク王国の旗 ヴュルテンベルク王国、ランゲンブルク
死去 (1960-05-11) 1960年5月11日(63歳没)
西ドイツの旗 西ドイツ、バーデン=ヴュルテンベルク州、ランゲンブルク
配偶者 マルガリタ
子女
父親 エルンスト2世
母親 アレクサンドラ

生涯

ホーエンローエ=ランゲンブルク侯エルンスト2世とその妻のイギリス王女・ザクセン=コーブルク=ゴータ公女アレクサンドラの間の第1子、長男としてランゲンブルクに生まれた。全名はゴットフリート・ヘルマン・アルフレート・パウル・マクシミリアン・ヴィクトル(Gottfried Hermann Alfred Paul Maximilian Viktor)。母はイギリスのヴィクトリア女王の孫である。実家の城やドレスデン、コーブルクで教育を受けた後、1915年に志願兵としてドイツ軍に入隊した。1919年に軍隊を除隊された後、1年間ハイデルベルク大学で国民経済学を学んでいる。その後、ベルリンやミュンヘンでビジネスマンや銀行員として働いた。

1931年4月20日、ギリシャ王子アンドレアスの娘マルガリタと結婚した。マルガリタは正教徒だったため、無宗派による結婚式が挙げられた。マルガリタはイギリス女王エリザベス2世の夫エディンバラ公爵フィリップ王子の長姉である。

1933年よりホーエンローエ=ランゲンブルク侯家の資産の管理・経営に携わり、1935年より父に代わってホーエンローエ=ランゲンブルク侯家の資産管理団体の代表に就任した。1937年5月1日には国家社会主義ドイツ労働者党(ナチ党)に入党し、402万3070人目の党員となった[1]。第二次世界大戦が始まると高級将校として軍隊に復帰し、東部戦線で戦ったが、1944年には軍務を解かれている。

終戦後、所領がアメリカ合衆国軍の占領地域に組み込まれた際、アメリカ軍の指名により3か月間のみながらクライルスハイム郡(Landkreis Crailsheim)の郡長を務めた。その後はバーデン=ヴュルテンベルク州の諸団体や、福音派教会系の様々な名誉職を歴任した。ランゲンブルクにて没。

子女

  • 娘(1933年、死産)
  • クラフト・アレクサンダー・エルンスト・ルートヴィヒ・エミッヒ(1935年 - 2004年) - 第9代ホーエンローエ=ランゲンブルク侯、1965年にシャルロット・ド・クロイと初婚(1990年に離婚)、1992年にイルマ・ポスペッシュと再婚
  • ベアトリクス・アリーツェ・マリー・メリタ・マルガレーテ(1936年 - 1997年)
  • ゲオルク・アンドレアス・ハインリヒ(1938年 - 2021年) - 1968年にルイーゼ・パウリーネ・フォン・ショーンブルク=ヴァルデンブルクと結婚
  • ループレヒト・ジギスムント・フィリップ・エルンスト(1944年 - 1978年)
  • アルブレヒト・ヴォルフガング・クリストフ(1944年 - 1992年) - マリア=ヒルデガルト・フィッシャーと結婚

脚注

  1. Ernst Klee: Das Kulturlexikon zum Dritten Reich. Wer war was vor und nach 1945. S. Fischer, Frankfurt am Main 2007, S. 261.
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