サルケル
概要

サルケル遺跡発掘現場の航空写真、1951年

サルケル遺跡の積み石に記されたテュルクの印章(タムガ)

サルケル遺跡の出土品
コンスタンティノープルから技術者を呼んで建設された[2]。交易都市として栄え[1]、ハザール第3の都市になった[2]。ハザールでは<ヴォルガ川―カスピ海―イスラム(アッバース朝)>の交易が衰えて、代わって<ドン川―黒海―ビザンツ(東ローマ帝国)>の交易が興隆していった[1]。965年、キエフ大公国大公スヴャトスラフ1世の遠征により陥落した。
「ルーシ・カガン国#近隣国との関係」も参照
発掘調査
1930年代に考古学者ミハイル・アルタモノフの指揮により発掘調査が行われた。しかし、1951年にサルケル遺跡はチムリャンスク湖(人造湖、ru:Цимлянское водохранилище)の底に水没した。
脚注
- 黒石晋「社会構造を編制する欲望-ヴァイキング期ヨーロッパの場合(その1)-」 (PDF) 『彦根論叢』第333号、滋賀大学経済経営研究所、2001年12月、p.122
- 『角川世界史辞典』2001年、角川学芸出版、p.728
外部リンク
- Sarkel.ru(ロシア語)
- THE KHAZAR FORTRESS OF SARKEL(英語)
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