ザンクト・フィート

ザンクト・フィートドイツ語: Sankt Vith ドイツ語: [ˌzaŋkt ˈviːt]オランダ語: [ˌsaŋkt ˈfɪt]フランス語: Saint-Vithルクセンブルク語: Sankt Väit [ˌzɑŋkt ˈvæːɪ̯t])は、ベルギーリエージュ州に属する基礎自治体

ザンクト・フィート

Sankt-vith
ザンクト・フィートの旗
ザンクト・フィートの紋章
紋章
ザンクト・フィートの位置(ベルギー内)
ザンクト・フィート
北緯50度16分0秒 東経6度7分0秒
ベルギーの旗 ベルギー
地域 ワロン地域
言語共同体 ドイツ語共同体
リエージュ州
行政区 ヴェルヴィエ行政区
政府
  市長 Christian Krings
面積
  合計 146.93 km2
人口
(2008年1月1日)
  合計 9,242人
  密度 63人/km2
市外局番 080
ウェブサイト www.st.vith.be

Alfersteg、Amelscheid、Andler、Atzerath、Breitfeld、Crombach、Eiterbach、Galhausen、Heuem、 Hinderhausen、Hunnange (Hünningen)、Lommersweiler、Neidingen、Neubrück、Neundorf、Niederemmels、Oberemmels、Recht、Rödgen、 Rodt、Schlierbach、Schoenberg (Schönberg)、Setz、Steinebrück、Wallerode、Weppelerの各町から構成されている。

公用語はドイツ語で、ドイツ語共同体に属する9つの基礎自治体の1つである。

地理

ザンクト・フィート

アルデンヌ高原アイフェル高原の交差する地点に位置する。

日本における地名の表記について

当地はベルギーのドイツ語公用圏であり、公用読みの発音をカタカナ表記した場合、最も近いものは「ザンクト・フィート」となるが、日本ではフランス語表記に基づいて「サン・ヴィット」(もしくは「サン・ヴィト」等)と表記されていることがある。

日本語で記述されている第2次世界大戦を扱った戦史のうち、特に西暦2000年代以前のものではこの「サン・ヴィット」で表記されていることが多い。

歴史

12世紀以来の重要な市場町で、1350年には自治体として特権を授かった。1815年からプロイセン王国ラインラント州に属した。1917年にはリブラモン=バストーニュ=グヴィ線鉄道が敷かれ、重要な鉄道分岐点の地となった。

第一次世界大戦後のヴェルサイユ条約により、ザンクト・フィートはオイペンマルメディとともにベルギー王国へ併合された。

イギリス空軍の爆撃機による攻撃を受けるザンクト・フィート
(1944年12月26日の撮影)

1940年5月10日、ザンクト・フィートを含むベルギー東部は侵攻してきたドイツ軍に占領され、ドイツ国のオストカントネ(Ostkantone)地方として併合された。1944年12月16日に始まったドイツ軍の冬季攻勢である「ラインの守り」作戦(「バルジの戦い」の呼称で知られる)においてザンクト・フィートは重要な作戦目標となり、連合軍とドイツ軍との間で当地を巡って激しい戦闘が行われた。地上戦の他、市街は爆撃を受け、90%以上の建物が破壊されるか甚大な損傷を受け、廃墟と化した。戦災からの復興には1960年代までかかった。

現在は商業、観光、木材加工業が主産業となっている。

交通

  • 道路 - A27のほか、N62、N626、N646、N659、N670、N675、N695

第二次世界大戦後にザンクト・フィートを通る鉄道路線は廃止された。現在、ワロン地域交通公社(fr)運営の、ザンクト・フィート=オイペン間のバス路線がある。

姉妹都市

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