シュトイベン

シュトイベン (Steuben) はドイツの客船。1945年2月10日、ハンニバル作戦中にソ連の潜水艦「S-13」の雷撃により沈没し、約4,000人が死亡した。

初期

第二次世界大戦

1939年、「シュトイベン」はドイツ海軍に編入され、宿泊艦として運用された。1944年からは武装輸送船として運用された。ドイツ兵をバルト海東部の港へ輸送し、その後負傷兵をキールへ輸送した。

ハンニバル作戦

1945年1月初めまでに、カール・デーニッツ海軍元帥はドイツはもうすぐ敗北すると悟った。1945年1月23日、暗号文を送信し、潜水艦乗組員をバルト海沿岸のゴーテンハーフェン(現在のポーランド・グディニャ)から西ドイツへ避難させるよう命じた(ハンニバル作戦)。

当時、潜水艦乗組員はバルト海の港湾に停泊していた船で訓練・生活を行っていた。

1945年冬、ソ連がバルト三国と東プロイセンに進攻する前に、東プロイセンの難民がケーニヒスベルクを離れて西に向かった。多くの難民がバルト海沿岸のピラウ(現在のロシア・バルチースク)の港湾に避難し、船で比較的安全な西ドイツへ向かうことを望んだ。その船団の中に「シュトイベン」もあった。

最後の航海

1945年2月9日、「シュトイベン」はダンツィヒ湾のピラウを出航し、スヴィーネミュンデ(現在のポーランド・シフィノウイシチェ)へ向かった。4,267人が乗船しており、うち2,800人は負傷したドイツ兵、800人は民間人、100人は帰還兵、270人は海軍の医療関係者(医師、看護師、補助員含む)、12人はピラウで乗船した看護師、64人は高射砲の操作員、61人は海軍軍人や通信士、信号手、機械操作員、管理者ら、160人は商船隊の乗員であった[1]

真夜中を過ぎた頃、ソ連の潜水艦「S-13」が発射した2本の魚雷が「シュトイベン」に命中し、生存者によれば、約20分以内に沈没した。3,000人から4,000人が死亡した。生存者のうち約300人は水雷艇「T196」に救助され、ポメラニアのコルベルク(現在のポーランド・コウォブジェク)に到着した。

残骸

「シュトイベン」のエンジンテレグラフとダイバー

2004年5月、ポーランド海軍の水路測量船による調査で残骸が発見された。2005年の『ナショナルジオグラフィック』の記事で写真や画像が公表された[2]

残骸は左舷を底にして水深約70mに沈んでおり、船体は最長で50mあった。残骸はほぼ無傷であった。

関連項目

脚注

  1. Koburger, Charles W., Steel Ships, Iron Crosses, and Refugees, Praeger Publishers, NY, 1989, p.7. Koburger also notes that other equally reliable sources put the total embarked at 3,300.
  2. Marcin Jamkowski [author] & Christoph Gerigk [photographer], (2005, February), Ghost ship found, National Geographic 207(2), 32-51. 「参考文献」節を参照。

参考文献

外部リンク

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