ジェームス・J・コーベット
ジェームス・J・コーベット(James John Corbett、1866年9月1日 - 1933年2月18日)は、アメリカ合衆国のカリフォルニア州出身の男性プロボクサーで、近代ボクシングの先駆者である。通称は闘う銀行員。紳士的な人柄から「ジェントルマン・ジム」と呼ばれていた[1]。
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| 基本情報 | |
|---|---|
| 本名 | ジェームス・ジョン・コーベット |
| 通称 | ジェントルマン・ジム |
| 階級 | ヘビー級 |
| 国籍 | アメリカ合衆国 |
| 誕生日 | 1866年9月1日 |
| 出身地 |
アメリカ合衆国、カリフォルニア州 サンフランシスコ |
| 死没日 | 1933年2月18日(66歳没) |
| 死没地 | アメリカ合衆国 |
| スタイル | オーソドックス |
| プロボクシング戦績 | |
| 総試合数 | 24 |
| 勝ち | 14 |
| KO勝ち | 5 |
| 敗け | 4 |
| 引き分け | 3 |
| 無効試合 | 3 |
来歴
- 1866年9月1日、カリフォルニア州サンフランシスコで生まれる。銀行員をしていたがボクサーに転向。
- 1892年9月7日、5オンスグローブ使用のクインズベリー・ルールによって初めて行われた世界タイトルマッチで、王者ジョン・L・サリバンと戦い21回1分30秒KO勝ちでタイトル奪取した。
- クインズベリー・ルールが定められる以前のベアナックル(素手)「ロンドン・プライズリング・ルールズ」時代の王者で、3年のブランクで浴びるように酒を飲み続けた結果太鼓腹となっていた34歳213ポンド(約96kg)のサリバンのスタンド・アンド・ファイトスタイルと近代ボクシングのテクニックを駆使した27歳178ポンド(約80kg)のアウトボクシングスタイルのコーベットでは、今でこそ戦う前から結果は明らかなのだが、当時はまだ左のジャブやフットワークを駆使し相手のパンチをよけるコーベットの戦法は馴染みが無く、ビッグ・ジョンと言われた豪腕サリバンは翻弄され続けた結果、ついにコーベットを捕まえることができずに21回に3度のダウンを奪われKOされてしまった。しかし当時の民衆はこのコーベットの戦法を「卑怯者の戦法」と罵り拒否反応を示した[2]。
- 1897年3月17日、ネバダ州カーソンシティでボブ・フィッシモンズに14回KO負けで世界王座陥落。
- 1933年2月18日、ニューヨーク州ロングアイランドのベイサイドにある自宅で、コーベットは午後2時10分に死亡した。ユナイテッドプレスはコーベットは「心臓病を誘発した腺障害」で亡くなったと報じました。 しかし、AP通信はコーベットが「肝臓癌と心疾患」で亡くなったと報じた。
通算戦績
- プロボクシング: 24戦14勝5KO4敗3引分け3無効試合
獲得タイトル
- 第2代世界ヘビー級王座(1892年9月7日 - 1897年3月17日)
脚注
- 『ボクシング・バイブル』発行日・1999年3月29日、著者・ジョー小泉、12頁。
- 後にロバート・L・リプレイは、自らのコラムでコーベットを取り上げ、相手に傷一つ負わせた事さえない、紳士的なボクサー。と紹介した。
関連項目
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