ジャック・ピアース (野球)

ラバーン・ジャック・ピアース(Lavern Jack Pierce、1948年6月2日 - 2012年9月13日)は、ミシシッピ州出身のプロ野球選手(一塁手)。

ジャック・ピアース
Jack Pierce
1978年
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国ミシシッピ州
生年月日 (1948-06-02) 1948年6月2日
没年月日 (2012-09-13) 2012年9月13日(64歳没)
身長
体重
6' 0" =約182.9 cm
210 lb =約95.3 kg
選手情報
投球・打席 右投左打
ポジション 一塁手
プロ入り 1970年 MLBドラフト2巡目
初出場 MLB/1973年4月27日
最終出場 MLB/1975年9月12日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

経歴

1968年と1969年の全米ドラフトにおいて、それぞれ9巡目でニューヨーク・ヤンキース、3巡目でアトランタ・ブレーブスから指名を受けたが契約に至らなかった。1970年に2巡目でブレーブスから再び指名を受けて入団。同年はルーキーアドバンスドクラスのパイオニアリーグで打率.281、9本塁打の成績を残す。翌1971年はAのカロライナリーグで20本、1972年はAAのサザンリーグで23本の本塁打をそれぞれ放っている[1]。

1973年に初めてメジャーリーグ昇格を果たしたが、同年と翌1974年はともに1安打に終わった。1975年3月29日にレジー・サンダースとのトレードでデトロイト・タイガースに移籍。同年はメジャーで8本塁打を記録している。

1976年はメキシカンリーグで36本塁打を放って同リーグの本塁打王となり、長打力を評価した南海ホークスのオファーを受けて12月17日に入団が発表された[2]。オープン戦では左翼手としても起用されたが守備に難があり[3]、シーズン中は主に一塁手を務めて13本塁打を記録した。10月5日に残留が発表された[4]が、翌年の春季キャンプで広瀬叔功新監督の構想から外れて帰国。AAAのパシフィックコーストリーグで翌1979年までプレーし、1980年から1987年までは再びメキシカンリーグに所属していた。1987年で現役を引退している[5]。

2012年9月13日、心臓発作のために死去[6]。64歳没。

詳細情報

年度別打撃成績

年

度
球

団
試

合
打

席
打

数
得

点
安

打
二
塁
打
三
塁
打
本
塁
打
塁

打
打

点
盗

塁
盗
塁
死
犠

打
犠

飛
四

球
敬

遠
死

球
三

振
併
殺
打
打

率
出
塁
率
長
打
率
O
P
S
1973 ATL 112120010001 0000010080.050.095.050.145
1974 6109110001 0000010000.111.200.111.311
1975 DET 53194170194061872 2200022012402.235.320.424.743
1977 南海 9532829130669113116 39110423110617.227.302.399.701
MLB通算:3年 70225199204261874 2200022212482.211.293.372.665
NPB:1年 9532829130669113116 39110423110617.227.302.399.701

背番号

  • 18(1973年 - 1974年)
  • 27(1975年)
  • 4(1977年)

脚注

  1. baseball reference
  2. 読売新聞、1976年12月18日付朝刊、P.15
  3. 読売新聞、1977年3月7日付朝刊、P.17
  4. 読売新聞、1977年10月6日付朝刊、P.17
  5. https://www.baseball-reference.com/register/player.fcgi?id=pierce001lav
  6. Fallece Jack Pierce, inmortal béisbol mexicano ESPN 2012年9月15日閲覧

関連項目

外部リンク

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