ジャン・ラニョッティ
ジャン・"ジャンノ"・ラニョッティ(Jean "Jeannot" Ragnotti、1945年8月29日 - )は、フランス・カルパントラ出身のラリードライバー。
| ジャン・ラニョッティ | |
|---|---|
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| 基本情報 | |
| 国籍 |
|
| WRCでの経歴 | |
| 活動時期 | 1973 – 1987, 1990 – 1995 |
| 所属チーム | ルノー |
| 出走回数 | 41 |
| チャンピオン回数 | 0 |
| 優勝回数 | 3 |
| 表彰台回数 | 9 |
| ステージ勝利数 | 90 |
| 通算獲得ポイント | 190 |
| 初戦 | 1973 ラリー・モンテカルロ |
| 初勝利 | 1981 ラリー・モンテカルロ |
| 最終勝利 | 1985 ツール・ド・コルス |
| 最終戦 | 1995 ツール・ド・コルス |
経歴
1973年にラリードライバーとしてデビューする。1981年のラリー・モンテカルロをルノー・5で制した[1]。これはWRC史上初のターボエンジン搭載車による勝利であった。1982年にはツール・ド・コルスを制する。

ラニョッテイの駆るルノー・5
また、フランス・ツーリングカー選手権にも参戦しており、1988年にはシリーズチャンピオンを獲得している。1990年代も引き続いてルノーをドライブしたが、このときは前輪駆動のクリオ・マキシであった。
1995年に引退する。WRCにおける優勝回数は3回だが、性能に劣るマシンで速くパワーに勝るマシンに勝つドライビングは世界各国で高い人気を呼んだ。
フランス人であるが故にターマックスペシャリストのイメージを抱かれがちだが、グラベルラリーやウインターラリーでも好成績を残した。同じフランス人ラリードライバーのフィリップ・ブガルスキーは、ラニョッティを「生涯の師匠」と仰ぎ、慕った。
1995年のF1モナコGPでペースカードライバーを務めていたが、スピンし止まっていたフットワーク・FA16に乗る井上隆智穂に追突し話題となった。引退後の1998年に公開されたフランス映画『TAXi』では撮影ドライバーを務めた。
現在はルノーの名誉広報部長を務めており、ルノーや自動車専門雑誌などのイベントのゲストとしてたびたび来日している。
WRCでの優勝歴
| # | ラリー | シーズン | コ・ドライバー | 使用車両 |
|---|---|---|---|---|
| 1 | 1981 | ジャン=マルク・アンドレ | Renault 5 Turbo | |
| 2 | 1982 | ジャン=マルク・アンドレ | Renault 5 Turbo | |
| 3 | 1985 | ピエール・ティモニエ | Renault 5 Maxi Turbo |
レース戦績
ル・マン24時間レース
| 年 | チーム | コ・ドライバー | 使用車両 | クラス | 周回 | 総合順位 | クラス順位 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1975年 | テクマ・PHM755 | S 2.0 |
11 | DNF | DNF | ||
| 1977年 | イナルテラ・LM77 | GTP | 315 | 4位 | 1位 | ||
| 1978年 | ルノー・アルピーヌ・A442A | S +2.0 |
358 | 4位 | 4位 | ||
| 1979年 | ロンドー・M379 | S +2.0 |
292 | 5位 | 1位 | ||
| 1980年 | ロンドー・M379B | S +2.0 |
124 | DNF | DNF | ||
| 1981年 | ロンドー・M379 | S +2.0 |
58 | DNF | DNF | ||
| 1982年 | ロンドー・M382-フォード コスワース | C | 146 | DNF | DNF |
出典
- Smith, Roy (2008). Alpine & Renault: The Development of the Revolutionary Turbo F1 Car 1968 to 1979. Veloce Publishing Ltd. p. 22. ISBN 1845841778 2011年3月17日閲覧。
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