ジョン・ダイアック
経歴・人物
1870年(明治3年)ジョン・イングランドらとともに明治政府のお雇いとなり、工部省鉄道寮の副技術主任として、鉄道建設に尽力した[1]。
新橋 - 横浜間の鉄道敷設の測量を指導し、同時期にダイアックは同線に0マイルの標杭を打ち込んだと見られる[2]。1881年(明治14年)に工部省を退職して横浜に転勤し、自営業を営む[2]。1883年(明治16年)には後の東海道本線である京都 - 大阪 - 神戸間の測量や敷設工事も指導した[3]。また鉄道関係技術以外にも、日本郵船支店等の多くの建築物の設計に携わった[2]。
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