スタニスワフ・ルボミルスキ (1704-1793)

スタニスワフ・ルボミルスキ(Stanisław Lubomirski, 1704年 - 1793年7月19日)は、ポーランド・リトアニア共和国の貴族。ルボミルスキ家の公(侯爵(Fürst)/公爵(książę))。

スタニスワフ・ルボミルスキ
Stanisław Lubomirski

出生 1704年
ポーランド・リトアニア共和国、ブラツワフ
死去 1793年7月19日
ポーランド・リトアニア共和国、ワルシャワ
配偶者 ルドヴィカ・ポチェイ
子女 クサヴェリ
アレクサンデル
ユゼフ
ミハウ
家名 ルボミルスキ家
父親 イェジ・アレクサンデル・ルボミルスキ
母親 ヨハンナ・フォン・シュテルツハウゼン

生涯

イェジ・アレクサンデル・ルボミルスキ公(Jerzy Aleksander Lubomirski)とその最初の妻のヨハンナ・フォン・シュテルツハウゼンの間の次男として生まれた[1]。イェジ・セバスティアン・ルボミルスキの曾孫にあたる。1739年に王冠領副膳官(Podstoli)の官位を受け、1744年に白鷲勲章を授けられた。またノヴィ・ソンチの代官も務めた。1764年にブラツワフ県知事となり、1772年にキエフ県知事に就任した。当時の共和国において最富裕層のマグナートの1人であり、ドゥブナ、リウネなどの領主で、31の町と738の村を所有していた。年間の収入は292万ズウォティにのぼったと言われる。

1740年にルドヴィカ・ポチェイ(1726年 - 1786年)と結婚し、間に4男3女の7人の子女をもうけた[1]。

  • クサヴェリ・ルボミルスキ(1747年 - 1819年) - ロシア帝国軍の将軍
  • アレクサンデル・ルボミルスキ(1749年 - 1808年) - フランス軍の将軍、キエフ城代、伯爵令嬢ロザリア・ホトキェヴィチと結婚
  • ユゼフ・ルボミルスキ(1751年 - 1817年) - ポーランド軍の将軍、キエフ城代
  • ミハウ・ルボミルスキ(1752年 - 1809年) - ポーランド軍の将軍

脚注

  1. Minakowski, Marek Jerzy. “Stanisław ks. Lubomirski z Lubomierza h. Drużyna (ID: 15.105.472)”. 2012年3月28日閲覧。
This article is issued from Wikipedia. The text is licensed under Creative Commons - Attribution - Sharealike. Additional terms may apply for the media files.