セオドア・フォン・カルマン

セオドア・フォン・カルマンハンガリー語: (szőllőskislaki) Kármán Tódor [(sølːøːʃkiʃlɒki) ˈkɑ̈(ˑ)rmɑ̈(ˑ)n ˈtoːdor](セッレーシュキシュラキ)カールマーン・トードル英語: Theodore von Kármán1881年5月11日  1963年5月6日)は、ハンガリー航空工学者である。

セオドア・フォン・カルマン

航空工学の基礎を築き、銭学森など多くの後進を育てたその業績から「航空工学の父」とも称される。本名であるハンガリー語名はカールマーン・トードルKármán Tódor)。ジェット推進研究所 (JPL) 初代のディレクターで、のちに国際宇宙航行アカデミーの初代会長をつとめた。

人物・生涯

ブダペスト生まれのユダヤ人で、父は教師・教育学者のカールマーン・モール(ハンガリー語: Kármán Mór)。1902年ブダペスト工科経済大学を卒業。1906年ゲッティンゲン大学ルートヴィヒ・プラントルのもとに留学。

4年間ゲッティンゲン大学で教えた後、1912年アーヘン工科大学の新設の航空研究所の所長になり、1915年から1918年までオーストリア・ハンガリー軍のためにヘリコプターの研究で中断し、1918年にはハンガリー民主共和国クン・ベーラ政権下で教育副大臣を務めるも[1]、政権崩壊後はドイツに戻った。

1928年頃、日本・神戸の航空機メーカー川西航空機に招聘され、川西試験風洞を設計[2]

1930年カリフォルニア工科大学に移り、グッゲンハイム航空研究所所長になった。1946年にロンドン王立協会のフェローに選出された[3]。また彼は、中国の宇宙開発を主導した銭学森の師であった。

空気力学の研究に大きな業績を残し、また航空機開発の分野においても活躍した。カルマン渦(カルマン渦列)に名前を残している。ヘンリー・アーノルド科学諮問委員会を立ち上げてこれは多くの科学委員会のモデルとなった。

1963年5月6日、死去[4]81歳没

栄誉・受賞

国際宇宙航行アカデミーによってその名を記念した「フォン・カルマン賞(: von Karman Award[5]」が設けられ、航空・宇宙工学の分野において大きな貢献をなした研究者や団体に贈られている。カルマンの名を冠した賞としては他に米国土木学会の「セオドア・フォン・カルマン・メダル」とアメリカ応用数理学会の「セオドア・フォン・カルマン賞」が設けられている。

参考文献

  • 自伝:『大空への挑戦』(カルマン著、野村安正訳、森北出版、ISBN 4627945108)
  • 著書:『工学における数学的方法(上・下)』(カルマン,ビオ 共著、村上勇次郎武田晋一郎飯沼一男 訳、法政大学出版局、昭和29年)

脚注

出典

  1. 1918. november 18-án Magyarország függetlenséget kiáltott ki Ausztriától. A kisebbség ezt jó alkalomnak találta az ország jó részének elkövetelésére, amit az 1920-as trianoni békeszerződés jóváhagyott
  2. 世界注視の標的 横断機を生むところ 川西飛行機製作所のその中で
  3. "Karman; Theodore von (1881 - 1963)". Record (英語). The Royal Society. 2024年1月17日閲覧
  4. "カルマン". ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典. コトバンクより2024年1月17日閲覧
  5. International Academy of Astronautics

関連項目

外部リンク

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