セザール・ガブリエル・ド・ショワズール=プララン
プララン公セザール・ガブリエル・ド・ショワズール(仏: César Gabriel de Choiseul, duc de Praslin, 1712年8月15日 - 1785年11月15日)は、フランス王国の貴族、外交官、政治家、軍人。ルイ15世時代の筆頭大臣エティエンヌ・フランソワ・ド・ショワズールの従兄。
| セザール・ガブリエル・ド・ショワズール=プララン César Gabriel de Choiseul | |
|---|---|
| プララン公 | |
![]() プララン公セザール、アレクサンドル・ロズラン画 | |
| 在位 | 1763年 - 1785年 |
| 出生 |
1712年8月15日 |
| 死去 |
1785年11月15日(73歳没) |
| 配偶者 | アンヌ・マリー・ド・シャンパーニュ・ド・ヴィレンヌ・ド・ラ・シュズ |
| 子女 |
ルノー・セザール エリーザベト=セレステ・アデライード |
| 家名 | ショワズール家 |
| 父親 | ユベール・ド・ショワズール |
| 母親 | ルイーズ=アンリエット・ド・ボーヴォー |
生涯
いくつかの軍歴を経て陸軍中将となるとともに、1756年に駐オーストリア大使となった。1761年から1766年までは、エティエンヌ・フランソワの海軍大臣転任とともに外務大臣となっている。1763年にはルイ15世の全権大使として、七年戦争を終結させるパリ条約の交渉と調印を行った。これにより、新設のプララン公爵に叙爵された。
1766年にはエティエンヌ・フランソワの外務大臣復帰に伴い、入れ替わりに海軍大臣となった。海軍は七年戦争で大きなダメージを被っており、建て直しに努力することとなる。しかし、エティエンヌ・フランソワの庇護者であったポンパドゥール夫人が1764年に死去した後、彼らを失脚させようとする動きが盛んになり、1770年には大臣を辞任することとなった。その間、1769年には科学アカデミーの名誉会員になっている。
セーシェル諸島の中のプララン島は、彼にちなんで名づけられた。
| 公職 | ||
|---|---|---|
| 先代 エティエンヌ・フランソワ・ド・ショワズール |
フランス外務大臣 1761年 - 1766年 |
次代 エティエンヌ・フランソワ・ド・ショワズール |
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