タラス河畔の戦い
タラス河畔の戦い(タラスかはんのたたかい、アラビア語: معركة نهر طلاس、中国語: 怛羅斯會戰)は、751年(A.H.133年、天宝10載)5月から9月にかけて、中央アジアのタラス地方(現在のキルギス領)で唐とアッバース朝の間で中央アジアの覇権を巡って行われた天下分け目の戦闘である。製紙法が技術的に出遅れていた西方に伝来したきっかけとなった戦いとして有名である。
| タラス河畔の戦い (Battle of Talas) | |
|---|---|
![]() 8世紀の唐の領域。アッバース朝と接していることがわかる。 | |
| 戦争:唐とアッバース朝の会戦 | |
| 年月日:751年5月〜9月 | |
| 場所:今のキルギスのタラス河畔 | |
| 結果:アッバース朝の勝利 | |
| 交戦勢力 | |
| アラビア側 | 中華側 |
| 指導者・指揮官 | |
| ズィヤード・イブン・サーリフ | 高仙芝 李嗣業 段秀実 |
| 戦力 | |
| 20万人 | 3万人(イスラーム側の文献では10万人) |
| 損害 | |
| 不明 | 残兵数千人 |
経過
戦いの影響
この戦い以降、中央アジアにイスラム勢力の安定支配が確立し、ソグド人やテュルク系諸民族の間にイスラム教が広まっていった。
唐の勢力はタリム盆地に限定されることとなり、まもなく起こった安史の乱の際はかつての敵国であるアッバース朝からアラブ人の援軍を送られるまで弱体化した唐の中央アジア支配は後退していった。高仙芝と李嗣業は安史の乱で活躍するものの、両者とも非業の死を遂げた。
脚注
参考文献
関連項目
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