チェーディー・シースリヨータイ

チェーディー・シースリヨータイ(Chedi Si Suriyothai 〈Chedi Sri Suriyothai〉、タイ語: พระเจดีย์ศรีสุริโยทัย、プラ・チェーディー・シースリヨータイ〈Phra Chedi Sisuriyothai、タイ語: เจดีย์พระศรีสุริโยทัย〉シースリヨータイ王妃の仏塔)は、タイの中部、アユタヤ県アユタヤの川に囲まれた旧都である島の西側、チャオプラヤー川のほとりに位置する仏塔(チェーディー)である[1]。

チェーディー・シースリヨータイ
พระเจดีย์ศรีสุริโยทัย
Chedi Si Suriyothai
基本情報
座標 北緯14度21分10秒 東経100度32分51秒
宗教 仏教
地区 プラナコーンシーアユッタヤー郡
州 アユタヤ県
国 タイ王国の旗 タイ
完成 16世紀

仏塔は、アユタヤ王朝の王チャクラパット(在位1548-1569年)とビルマのタウングー王朝のバインナウンとの戦闘(第一次緬泰戦争)において、1549年[2]、王チャクラパットを守ろうとして死亡したとされる王妃シースリヨータイの遺骨を祀るとされる[2][3]。

歴史

スリヨータイは、タイ女性の栄誉の象徴であり、タイ史上における最高のヒロインである[1][2]。王チャクラパットは第一次緬泰戦争の後、その戦闘のうちに死亡した王妃シースリヨータイの遺体をスワンルワンよりアユタヤに運び、王宮の敷地で火葬に付した[4]。

シースリヨータイの墓所は、チャクリー王朝の王ラーマ5世(在位1868-1910年)が史書編纂の実地調査のなかで仏塔を見いだし、その場所が同定された。その後、王ラーマ6世(在位1910-1925年)により仏塔は「チェーディー・プラ・シースリヨータイ」 (“Chedi Phra Sri Suriyothai”) と名付けられた[4]。

1990年、シースリヨータイの仏塔はタイ芸術局により修復された。その修復のうちに多くの遺物が発見され、それらは現在、チャオ・サーム・プラヤー国立博物館に収蔵されている[4]。

構造

チェーディー・シースリヨータイは、正方形の基壇上に立ち、現在は下層部より白く装飾され、尖塔に向かって金箔が施されている。仏塔の北側に扉を備える。仏塔は王妃が火葬されたかつての王宮 (Wang Lang、タイ語: วังหลั่ง〈リア宮殿、Rear Palace〉[5]) の敷地に建立されたが、王宮の痕跡は現存しない。また、この仏塔がシースリヨータイの伝承のものかどうかについても諸説ある[6]。

脚注

  1. 中村浩『ぶらりあるきチェンマイ・アユタヤの博物館』芙蓉書房出版、2016年、168-169頁。ISBN 978-4-8295-0701-8。
  2. 石井米雄・吉川利治 編『タイの事典』同朋舎出版、1993年、148頁。ISBN 4-8104-0853-1。
  3. 高杉等『東南アジアの遺跡を歩く』めこん、2001年、244頁。ISBN 4-8396-0144-5。
  4. “Phra Chedi Sisuriyothai”. amazing Thailand. Tourism Authority of Thailand. 2017年9月27日閲覧。
  5. “Rear Palace (วังหลั่ง)”. Histry of Ayutthaya. Ayutthaya Historical Research (2015年3月). 2017年9月27日閲覧。
  6. “Phra Chedi Sri Suriyothai (พระเจดีย์ศรีสุริโยทัย)”. Histry of Ayutthaya. Ayutthaya Historical Research (2015年3月). 2017年9月27日閲覧。

関連項目

外部リンク

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