チャド・ディアリング

チャド・ディアリング(Chad Deering、1970年9月2日 - )はアメリカ合衆国の元サッカー選手である。プロとしてのキャリアは、ドイツ、ノルウェー、本国メジャーリーグサッカーで過ごした。代表チームでは18試合に出場し、1998年のFIFAワールドカップにも1試合出場している。

チャド・ディアリング
名前
本名 チャド・ディアリング
Chad Deering
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
生年月日 (1970-09-02) 1970年9月2日(53歳)
出身地 テキサス州の旗 テキサス州ガーランド
身長 188cm
選手情報
ポジション MF
ユース
1989-1990 アメリカ合衆国の旗 インディアナ大学ブルーミントン校
クラブ1
年 クラブ 出場 (得点)
1990-1993 ドイツの旗 ヴェルダー・ブレーメン 0 (0)
1993-1994 ドイツの旗 シャルケ04) 6 (0)
1994 ノルウェーの旗 ローゼンボリBK 0 (0)
1995-1996 ドイツの旗 キッカーズ・エムデン
1996-1998 ドイツの旗 VfLヴォルフスブルク 41 (5)
1999-2003 アメリカ合衆国の旗 ダラス・バーン 163 (16)
2003-2004 アメリカ合衆国の旗 ダラス・サイドキックス 9 (2)
2004 アメリカ合衆国の旗 DFW・トルネードス 4 (0)
2004 アメリカ合衆国の旗 チャールストン・バッテリー 0 (0)
2012 アメリカ合衆国の旗 ダラス・サイドキックス 0 (0)
代表歴
1993-2001 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 18 (1)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj

ユースとキャリア草創期

ディアリングはテキサス州ダラス近郊のプレイノで生まれ育ち、地元のプレイノ高校に通った。パレード誌の全米優秀高校生として2度紙面を飾り、1998年、最高学年の時にはテキサス州高校優秀選手として名を挙げられている。高校生活中、アメリカU-16チームとしてデビューし、1987年のU-16世界選手権に出場した。ディアリングは1ゴールを挙げたが、韓国に2‐4で敗れ去った。

ディアリングは、高校卒業時に全米大学体育協会サッカー1部トーナメントで優勝を成し遂げたばかりのインディアナ大学から積極的勧誘を受けたが、彼は2シーズンを大学で過ごし、12ゴールと12を超えるアシストを決め、すぐにドイツでのプロキャリアを積むことを選んだ。大学ではNCAAの最後のシーズンに2度の全米ベストイレブンの名誉を得た。

ドイツ

ディアリングのプロとしてのキャリアはヴェルダー・ブレーメンのリザーブ・チームからスタートした。3年間の在籍中、トップチームでの出場チャンスは1度も巡ってこず、1993年にシャルケ04に移籍し、苦しい思いをしながらもシャルケのアマチュアチームでプレーした。 1994年、ノルウェープレミアリーグのローゼンボリで1年を過ごし、ドイツに再び戻り、ドイツ4部リーグのキッカーズ・エムデンと契約した。1996年、エムデンからドイツ2部リーグVfLヴォルフスブルクに移籍し、遂にドイツのトップクラブでプレーすることに成功した。同シーズン、ブンデスリーガへの昇格に貢献し、さらに翌年にはトップリーグにおいて、15試合に出場した。

MLS

1998年、メジャーリーグサッカー(MLS)でのプレーをするためにアメリカに戻ることにとても関心があると述べた。同年7月2日にMLSとサインした後、MLSはダラス・バーンにディアリングを割り当て、それからの7年間をレギュラーポジションを張ることになった。

MISL

2004年1月24日、ディアリングはメジャー・インドア・サッカーリーグ(MISL)のダラス・サイドキックスと契約した。2003-2004年シーズンはほとんど終わりに差し掛かっていて、それでも9試合に出場した。

アメリカのマイナーリーグ

2004年、USLプレミアデベロップメントリーグのDFW・トルネードスでプレーした。[1]2004年12月30日、ユナイテッドサッカーリーグ1部のチャールストン・バッテリーがディアリングと契約した。[2]翌年3月16日、プロキャリアからの引退を発表し、コーチとしてのキャリアを積むために故郷のテキサス州プレイノに帰ることを強く希望した。[3]彼はバッテリーのため2004年8月のシーズン終了までプレーすることはなく、2005年4月のシーズン開幕までいなかった。

アメリカ代表

彼の代表初試合は1993年12月18日、ウーゴ・ペレスとの交代で、試合はドイツに敗戦となった。ディアリングは代表で18試合に出場し、唯一のゴールは1998年3月14日、対パラグアイ戦での2-2の引き分け試合だった。代表監督であったスティーブ・サンプソンがジョン・ハークスを代表から追放したとき、1998年のワールドカップに向け、監督はそのポジションであるディフェンブ・ミッドフィールダーをディアリングに任せることにした。[4]だが、ディアリングはワールドカップではたった1試合、0-2でドイツに敗れた試合のみの出場に終わった。

北部テキサス州プレミアサッカー協会(NTPSA)

ディアリングは北部テキサス州プレミアサッカー協会のキックスFCの、30歳以上のクラスでセントラルミッドフィールダーとしてかつての仲間たちとプレーしている。

脚注

  1. “2004 DFW Tornado”. uslsoccer.com. 2011年4月1日閲覧。
  2. “Battery sign Deering”. uslsoccer.com (2004年12月30日). 2012年2月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年8月10日閲覧。
  3. “Charleston Battery”. charlestonbattery.com (2005年3月16日). 2007年9月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年4月1日閲覧。
  4. “Player Profiles”. sportsillustrated.cnn.com. 2011年4月1日閲覧。
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