チャド・ビリングズリー

チャド・ライアン・ビリングズリー(Chad Ryan Billingsley、1984年7月29日 - )は、アメリカ合衆国・オハイオ州ディファイアンス出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。現在はフリーエージェント。

チャド・ビリングズリー
Chad Billingsley
フリーエージェント(FA)
ドジャース時代
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国・オハイオ州ディファイアンス
生年月日 (1984-07-29) 1984年7月29日(39歳)
身長
体重
6' 1" =約185.4 cm
240 lb =約108.9 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 2003年 ドラフト1巡目(全体24位)でロサンゼルス・ドジャースから指名
初出場 2006年6月15日
年俸 $1,500,000(2015年)
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

経歴

プロ入り前

ビリングズリーは2002年にシェルブルックで行われたIBAF世界ジュニア選手権で3試合に投げ3勝0敗・防御率2.45という成績でアメリカ代表の銅メダル獲得に貢献[1]、デファイアンス高校時代の2003年には11試合で6勝1敗、防御率1.49で113奪三振という成績を残す。また56回を投げ四球は16個だった。

ドジャース時代

2003年のMLBドラフトでロサンゼルス・ドジャースから1巡目(全体24番目)指名を受け、137万5000ドルで契約。ドラフト指名後、ルーキーリーグのオグデン・ラプターズで投げ5勝4敗・防御率2.83の成績でプロ1年目を終えた。

2004年はA級ベロビーチ・ドジャースに昇格し7勝4敗、防御率2.35。

2005年はAA級ジャクソンビル・サンズで13勝6敗・防御率3.51だった。

2006年シーズン開幕前にベースボール・アメリカ誌は、ビリングズリーをドジャースの最高若手有望株と評価した[2]。同年、AAA級ラスベガス・フィフティワンズで開幕を迎え、6月15日、ペトコ・パークでのサンディエゴ・パドレス戦でメジャーリーグデビュー。5.2回を投げ6安打、3奪三振、2失点という内容だった。またこの試合では初めての打数で2点タイムリー安打を放ち(初打席は死球)、自らの負けを消した。結局この試合はドジャースが7対3で勝利したがビリングズリーには勝利は付かなかった。この年は18試合(うち16先発)に登板して7勝を挙げた。

2007年の開幕時はブルペンで迎えることとなった。しかしジェイソン・シュミットが故障者リスト入りしたため、6月21日からは再び先発に回ることとなり[3]、規定投球回未満ながら12勝を挙げた。

2008年は開幕から先発ローテーションを任され、7月30日のサンフランシスコ・ジャイアンツ戦では5安打、8奪三振、1四球という内容で自身初の完封勝ちを記録した。この年は200.2回を投げ16勝10敗、リーグ5位となる201奪三振、防御率3.14を記録した。9月6日にはアリゾナ・ダイヤモンドバックスのブランドン・ウェブと投げあい、ビリングズリーは14勝目を挙げ、この勝利でドジャースは地区首位に浮上しそのまま地区優勝を果たした[4]。ポストシーズンでは3試合に先発し、初先発となったシカゴ・カブスとのディビジョンシリーズ第2戦では、6.2回を1失点に抑え勝利。しかし残る2試合ではフィラデルフィア・フィリーズとのリーグチャンピオンシップシリーズの第2戦で2.1回を投げ8失点(自責7)で敗戦投手となり、第5戦でも2.2回を3失点と活躍を見せることが出来なかった。

シーズンオフの2008年11月21日にレディングの自宅郊外で氷の上で転倒し腓骨を骨折した[5] 。しかし、春季キャンプ開始までに回復し大事には至らなかった。

2009年は開幕から5連勝を記録し、オールスターに初めて選出された。しかし、閉幕にかけて5連敗でシーズンを終え、プレーオフでは先発から外れ、リリーフとして起用された[6]。

2010年は31試合を投げ、前年と同じ12勝11敗でシーズンを終えた。

2011年のスプリングトレーニング期間内に総額3500万ドルの3年契約を結んだ。6月5日のシンシナティ・レッズ戦で自身初の本塁打をトラビス・ウッドから放った。

2012年7月7日のダイヤモンドバックス戦で通算1000奪三振を記録。9月5日に肘関節の尺側側副靱帯損傷のため残りのシーズンを休養に回した。本来トミー・ジョン手術で治療する怪我だったがビリングズリーはPRP療法を選択し、手術を回避した。

2013年のスプリングトレーニングでは右肘の違和感なく過ごしていたが、4月19日に右肘の圧迫感・痛みを訴え、4月20日にMRI検査で靭帯の損傷が明らかになり、翌日故障者リスト入りした。4月24日にトミー・ジョン手術を受け、2013年の残りシーズン全てをリハビリに費やすことになった[7]。

2014年は、プレーする事は無かった。オフに契約オプションを破棄され、10月30日にFAとなった。

フィリーズ時代

2015年1月29日にフィリーズと1年150万ドルで契約を結んだ[8]。フィリーズでは2年ぶりにメジャーのマウンドに登り、7試合に先発登板した。しかし、防御率5.84・2勝3敗・WHIP1.65という成績に終わり、往年の実力を取り戻す事は出来なかった。同年11月2日にFAとなった[9]。

選手としての特徴

詳細情報

年度別投手成績

年

度
球

団
登

板
先

発
完

投
完

封
無
四
球
勝

利
敗

戦
セ
丨
ブ
ホ
丨
ル
ド
勝

率
打

者
投
球
回
被
安
打
被
本
塁
打
与
四
球
敬

遠
与
死
球
奪
三
振
暴

投
ボ
丨
ク
失

点
自
責
点
防
御
率
W
H
I
P
2006 LAD 18160007400.63640390.09275833595043383.801.67
2007 432010012503.706623147.01311564331415056543.311.33
2008 3532111161001.615859200.218814806820110076703.141.34
2009 3332000121100.522823196.117317867717914094884.031.32
2010 3131110121100.522817191.21768697101714082763.571.28
2011 3232100111100.500829188.01891484471525098884.211.45
2012 252500010900.526634149.21481145251285066593.551.29
2013 2200010001.0004912.0121500600443.001.42
2015 PHI 770002300.40016537.0535801152026245.841.65
MLB:9年 226197421836404.56552021212.1116292499324410525005455013.721.37
  • 各年度の太字はリーグ最高

背番号

  • 58 (2006年 - 2013年)
  • 38 (2015年 - )

脚注

  1. Gurnick, Ken (2007年6月20日). “Notes: Pierre's numbers improving” (英語). MLB.com. 2010年7月22日閲覧。
  2. “Dodgers rated No. 1 in Baseball America Minor League talent rankings” (英語). MLB.com (2006年2月21日). 2010年7月22日閲覧。
  3. Gurnick, Ken (2007年6月19日). “Notes: Billingsley's opportunity knocks” (英語). MLB.com. 2010年7月22日閲覧。
  4. “2008 Los Angeles Dodgers Schedule, Box Scores and Splits” (英語). Baseball-Reference.com. 2010年7月22日閲覧。
  5. Associated Press (2008年11月23日). “Dodgers ace Billingsley has surgery after breaking leg in fall at home”. ESPN.com. 2008年11月24日閲覧。
  6. ESPN.com news services (2009年10月14日). “Lefty Kershaw starting Game 1” (英語). ESPN.com. 2010年7月22日閲覧。
  7. [Chad Billingsley injury: Dodgers RHP needs Tommy John surgery, out for year http://www.truebluela.com/2013/4/23/4257314/chad-billingsley-injury-dodgers-elbow-surgery]
  8. “Phillies sign RHP Chad Billingsley”. ESPN (2015年1月30日). 2015年2月7日閲覧。
  9. “Transactions | phillies.com” (英語). MLB.com (2015年11月2日). 2015年11月4日閲覧。

関連項目

外部リンク

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