チントウ
歴史
アナン(チントウ)という中国の水夫の船が沖縄の海岸に漂着し、漂流した海岸の地元の住民の作物などを盗んでいた。そこで琉球国王は空手家で国王の御側守役であった松村宗棍をチントウを捕まえる為に送った。そこで松村はチントウから技を学んだという伝説がある。
しかし、松村宗棍はナイファンチ、公相君、五十四歩のみを伝授したといわれ、チントウは伝えていない。
喜屋武朝徳が伝えたチントウは斜め一直線に演武する。これは泊の親泊興寛から習った形であり、現在の斜め一直線や横一直線のチントウはこの系統に属する。
糸洲安恒が改編したチントウは縦一直線の演武線であり、親泊のチントウを改編したものと考えられている。本土には摩文仁賢和によって伝えられた。船越義珍は摩文仁からチントウを習い日本風に岩鶴と改称している。岩鶴の名は現在も松濤館流の型として継承されている。岩鶴に改称した理由として戦時中の反中国の感情を回避するためと考えられている。
出典
- 入門2 - 全日本少林寺流空手道連盟錬心舘 2011年10月7日閲覧。
- Redmond, R. Kata: The Folk Dances of Shotokan, 2006 (http://www.24fightingchickens.com/kata/)
This article is issued from Wikipedia. The text is licensed under Creative Commons - Attribution - Sharealike. Additional terms may apply for the media files.