ディエゴ・ガビラン
ディエゴ・ガビラン (Diego Gavilán) こと、ディエゴ・アントニオ・ガビラン・サラテ(Diego Antonio Gavilán Zarate, 1980年3月1日 - )は、パラグアイ・アスンシオン出身の元サッカー選手。サッカー指導者。パラグアイ代表である。ポジションはミッドフィールダー(センターハーフ)。
| ||||||
|---|---|---|---|---|---|---|
| 名前 | ||||||
| 本名 |
ディエゴ・アントニオ・ガビラン・サラテ Diego Antonio Gavilán Zarate | |||||
| 愛称 | pampero | |||||
| カタカナ | ディエゴ・ガビラン | |||||
| ラテン文字 | Diego Gavilán | |||||
| 基本情報 | ||||||
| 国籍 |
| |||||
| 生年月日 | 1980年3月1日(44歳) | |||||
| 出身地 | アスンシオン | |||||
| 身長 | 176cm | |||||
| 選手情報 | ||||||
| ポジション | MF | |||||
| 代表歴 | ||||||
| 1999-2007 |
| 43 | (0) | |||
| ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj | ||||||
経歴
19歳の時にイングランド・プレミアリーグのニューカッスル・ユナイテッドFCと契約し、パラグアイ人として初めてイングランドでプレーする選手となった[1]。サンダーランドAFC戦でデビューし、試合は2-2の引き分けた。2000年4月にコヴェントリー・シティFC戦でリーグ戦初ゴールを決め、2-0での勝利に貢献した。 その後は出場機会に恵まれず、2001年12月、メキシコのクラブUniversidad Autónoma de Guadalajara(現テコスFC)にレンタル移籍した[2]。 2003年にはブラジルのSCインテルナシオナルに移籍。
ガビランはガリー・スピードの死に際してニューカッスルへの移籍後イングランドでの生活が落ち着くようにしてくれたことやまるで父親のように接してくれたこと、2002 FIFAワールドカップのパラグアイ代表のメンバーに選ばれたことを祝福してくれた、と明らかにした[3]。
所属クラブ
- 1998-1999
セロ・ポルテーニョ - 1999-2004
ニューカッスル・ユナイテッドFC
- 2002-2003 →
テコス・デ・ラUAG(loan) - 2003 →
SCインテルナシオナル (loan) - 2003-2004 →
ウディネーゼ・カルチョ (loan)
- 2004-2005
SCインテルナシオナル - 2005-2007
ニューウェルズ・オールドボーイズ - 2007
グレミオFBPA - 2008
CRフラメンゴ - 2008
アソシアソン・ポルトゥゲーザ・ジ・デスポルトス - 2009
CAインデペンディエンテ - 2010
オリンピア・アスンシオン - 2011
フアン・アウリチ - 2011
インデペンディエンテFBC
指導歴
- 2014
クルブ・オリンピア・デ・イタ - 2015
クルブ・スポルト・コロンビア - 2015
インデペンディエンテFBC - 2016
クルブ・オリンピア・デ・イタ - 2017
デポルティボ・カピアタ - 2017
スポルティボ・トリニデンセ - 2017
クルブ・ソル・デ・アメリカ - 2018
デポルティボ・カピアタ - 2018-2019
ECペロタス - 2023
セロ・ポルテーニョ
脚注
出典
- “‘Where did it all go wrong?’ – Diego Gavilan & Newcastle”. (2010年4月2日) 2021年6月18日閲覧。
- “Mexican Wave As Gavilan Leaves United”. (2001年12月19日) 2021年6月18日閲覧。
- “Diego Gavilán: Gary Speed era como un padre para mí”. (2012年5月29日) 2021年6月18日閲覧。
外部リンク
This article is issued from Wikipedia. The text is licensed under Creative Commons - Attribution - Sharealike. Additional terms may apply for the media files.