デイヴィッド・テッテフ

デイヴィッド・ブルース・テッテフ(ラテン文字:David Bruce Tetteh, 1985年8月10日 - )は、ガーナ出身の元キルギス代表プロサッカー選手である。現役時代のポジションはMF(OH)、FW。

デイヴィッド・テッテフ
名前
本名 デイヴィッド・ブルース・テッテフ
David Bruce Tetteh
ラテン文字 David Tetteh
ロシア語 Дэвид Тетте
基本情報
国籍 キルギスの旗 キルギス
ガーナの旗 ガーナ
生年月日 (1985-08-10) 1985年8月10日(38歳)
出身地 ガーナ、アクラ[1]
身長 180cm
選手情報
ポジション MF(OH)/FW
クラブ1
年 クラブ 出場 (得点)
2006-2008 タジキスタンの旗 レガール・タダズ 15 (0)
2007 →キルギスの旗 ドルドイ・ディナモ・ナルイン(loan) 25 (8)
2008-2016 キルギスの旗 FCドルドイ・ディナモ・ナルイン 72 (7)
2016-2017 バーレーンの旗 アル・イテハド
2017 トルコの旗 タトワン・ゲンチレルビルリイ 7 (1)
2018 マカオの旗 ベンフィカ・デ・マカオ 12 (2)
2018-2019 バングラデシュの旗 シェイク・ダマル・ダンモンジ 21 (1)
代表歴
2013-2015 キルギスの旗 キルギス 14 (3)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj

2006年にタジキスタンの レガール・タダズと契約した。2007年には隣国であるキルギスのFCドルドイ・ディナモ・ナルインへローン移籍を果たした。2008年にキルギス市民権を獲得し、5年後の2013年にキルギス代表としてデビューを果たした。[2]

経歴

テッテフはAFCチャレンジカップ2014 (予選)でキルギス代表としてデビューし、キルギスで有名になった。 テッテフは、AFCチャレンジカップ2014 (予選)で出場した3試合全ての決勝点を挙げ[3][4][5]、キルギス代表のAFCチャレンジカップ予選突破の原動力となった。 キルギス代表監督のセルゲイ・デヴォリャンコフはテッテフを賞賛し、試合後「テッテフのキルギス市民権獲得キャンペーンに関与した全ての人々」に感謝の意を述べた[6]。

獲得タイトル

タジク・リーグ :2006
タジク・カップ :2006
キルギス・リーグ (6):2007,2008,2009,2011,2012,2014
キルギス・カップ (4):2008,2010,2012,2014
AFCプレジデンツカップ :2007
キルギス・スーパーカップ (4):2011,2012,2013,2014
  • 個人タイトル
キルギス・リーグ得点王 :2008

代表得点

#開催年月日開催地対戦国勝敗試合概要
1.2013年3月17日スパルタク・スタジアム, ビシュケクマカオの旗 マカオ○1-0AFCチャレンジカップ2014 (予選)
2.2013年3月19日スパルタク・スタジアム, ビシュケクパキスタンの旗 パキスタン○1-0AFCチャレンジカップ2014 (予選)
3.2013年3月21日スパルタク・スタジアム, ビシュケクタジキスタンの旗 タジキスタン○1-0AFCチャレンジカップ2014 (予選)

脚注

  1. http://www.transfermarkt.co.uk/en/david-bruce-tetteh/leistungsdaten-vereindetail/spieler_273326.html
  2. ユースからA代表までの公式戦に一度も出場していない選手に限り、他国の国籍を取得し、他国の代表になる事ができる。ただし代表になるためには、その国に5年の居住歴を持たなければならない。
  3. “Kyrgyzstan 1-0 Macau”. Asian Football Confederation (2013年3月18日). 2013年3月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年3月21日閲覧。
  4. “Pakistan 0-1 Kyrgyzstan”. Asian Football Confederation (2013年3月19日). 2013年3月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年3月21日閲覧。
  5. “Kyrgyzstan 1-0 Tajikistan”. Asian Football Confederation (2013年3月21日). 2013年3月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年3月21日閲覧。
  6. “Кубок вызова: Кыргызстан 1-0 Пакистан”. Kloop.kg (2013年3月19日). 2013年4月22日閲覧。
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