ドリー・ディクソン

ドリー・ディクソンDorrel "Dory" Dixon1935年2月1日 - )は、ジャマイカ出身の元プロレスラー

ドリー・ディクソン
プロフィール
リングネーム ドリー・ディクソン
カリプソ・キッド
(Calypso Kid)
本名 ドレル・ディクソン
ニックネーム 黒い弾丸[1]
身長 175cm[1]
体重 95kg(全盛時)[1]
誕生日 (1935-02-01) 1935年2月1日(88歳)
出身地 ジャマイカの旗 ジャマイカ
スポーツ歴 ボディビルディング
ウェイトリフティング
トレーナー ラファエル・サラマンカ
デビュー 1955年
引退 1986年[1]

中軽量級の黒人ベビーフェイスとして、アメリカおよびメキシコを主戦場に活動した[1]。「芸術品」とも評されたドロップキックの名手であり[2]ブラック・バレットBlack Bullet / 黒い弾丸)の異名を持つ[1][3]

来歴

ジャマイカではボディビルディングで活躍し、1954年にはミスター・ジャマイカのコンテストに優勝[4]。同年にメキシコシティで開催された中央アメリカ・カリブ海競技大会にもウェイトリフティングで出場し、プエブラ市知事のボディーガードとなった縁故からメキシコのプロレス界と接点を築き[1]1955年にメキシコにてデビュー[3]

1959年2月13日、アメリカのタイトルだったNWA世界ライトヘビー級王座をアレナ・メヒコにて獲得[5]。以降、同王座はメキシコのEMLLの管理下に置かれ、新王者となったディクソンはレイ・メンドーサゴリー・ゲレロらを相手に防衛戦を展開、9月11日にメンドーサに敗れるまでタイトルを保持した[5]

1960年よりアメリカのマット界に進出し、メキシコと国境を接するテキサス地区で活動。1961年1月31日、ダラスにてパット・オコーナーNWA世界ヘビー級王座に挑戦して90分時間切れ引き分けの戦績を残し[6][7]、同年7月14日にはワルドー・フォン・エリックからNWAテキサス・ヘビー級王座を奪取した[8]。NWA世界ヘビー級王座には、1962年10月にもダラスで新王者バディ・ロジャースに挑戦し、ここでも90分のタイムリミット・ドローを記録している[9]

1962年の暮れからWWWFに参戦。エドワード・カーペンティアアントニオ・ロッカのパートナーに抜擢されるなどの活躍を見せ[10]、翌1963年2月25日、ニューヨークマディソン・スクエア・ガーデンにて因縁のバディ・ロジャースが保持していた世界ヘビー級王座に挑戦[7][11]ブルーノ・サンマルチノがロジャースを48秒で下し新王者になった同年5月17日のMSGでは、黒人スターのボボ・ブラジルと組んでスカル・マーフィー&ブルート・バーナードのUSタッグ王座に挑戦した[7][11]。NYマットでは小兵ながら、キラー・コワルスキーバディ・オースチンといった大物ヒールとも対戦している[7]

WWWFを離れると再びテキサスで活動し、キラー・カール・コックス大木金太郎と対戦[10]。その後、1960年代後半にイギリスのジョイント・プロモーションズに出場した経緯から、1969年3月、当時ヨーロッパを外国人選手の供給ルートとしていた国際プロレスに初来日[12]豊登グレート草津サンダー杉山らを相手に軽快な空中技を披露し、ビル・ロビンソンとのシングルマッチも実現した[2]

1970年代初頭は、アメリカでは古巣のテキサスをはじめフロリダロサンゼルスなどを転戦。テキサスではメキシカンのホセ・ロザリオ、フロリダでは先住ハワイアンサム・スティムボートや同じ黒人のサンダーボルト・パターソンインディアンの血を引くジャック・ブリスコらとマイノリティ同士のタッグチームを組んで活躍した[10]。ロサンゼルスでは1972年1月15日にキンジ渋谷を破り、同地区のTVタイトルを獲得[13]アール・メイナードとの黒人コンビで渋谷&マサ斎藤を相手にNWAアメリカス・タッグ王座も争った[14]

1974年8月、ニコライ・ボルコフマネージャーフレッド・ブラッシー)、シーク・オブ・シークス・オブ・バグダッドティニエブラスらと共に新日本プロレスに参戦。アントニオ猪木ともシングルマッチで度々対戦した[7][15]

1975年以降はメキシコに定着するようになり、EMLLからLLIに所属団体を移して活動[1]。すでにセミリタイア状態だった1981年7月26日、アンヘル・ブランココントラ・マッチを行うも敗退した[7]。翌1982年12月26日には、エル・トレオにてマノ・ネグラ&ソラール1号と組んで6人タッグマッチに出場した(対戦相手チームはドクトル・ワグナークロネコ、スコルピオ)[10]

引退後もメキシコのプエブラに居住し[3]セブンスデー・アドベンチスト教会の牧師に転身する傍ら、ピアノやモダンバレエのスクールを運営した[2]

得意技

獲得タイトル

EMLL
  • NWA世界ライトヘビー級王座:1回[5]
NWAビッグタイム・レスリング
NWAハリウッド・レスリング

脚注

  1. 『THE WRESTLER BEST 100』P193(1996年、日本スポーツ出版社
  2. 『世界名レスラー100人伝説!!』P164-165(2003年、日本スポーツ出版社、監修:竹内宏介
  3. Wrestler Profiles: Dory Dixon”. Online World of Wrestling. 2013年7月17日閲覧。
  4. Wrestlers Database: Dory Dixon”. Cagematch.net. 2013年7月17日閲覧。
  5. NWA World Light Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2013年7月17日閲覧。
  6. The Records of NWA World Heavyweight Championship Matches 1961”. Wrestling-Titles.com. 2013年7月17日閲覧。
  7. Matches of Dory Dixon”. Cagematch.net. 2013年7月17日閲覧。
  8. NWA Texas Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2013年7月17日閲覧。
  9. The Records of NWA World Heavyweight Championship Matches 1962”. Wrestling-Titles.com. 2013年7月17日閲覧。
  10. Dory Dixon Yearly Statistics”. Wrestlingdata.com. 2013年6月4日閲覧。
  11. WWE Yearly Results 1963”. The History of WWE. 2013年7月17日閲覧。
  12. IWE 1969 World Selection Series”. Puroresu.com. 2020年2月27日閲覧。
  13. NWA Beat the Champ Television Title”. Wrestling-Titles.com. 2013年7月17日閲覧。
  14. NWA Americas Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2013年7月17日閲覧。
  15. NJPW 1974 Toukon Series”. Puroresu.com. 2020年2月27日閲覧。
  16. ドリー・ディクソンのブロンコ・ネック・ブリーカー”. ミック博士の昭和プロレス研究室. 2013年7月17日閲覧。
  17. NWA Texas Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2017年3月1日閲覧。
  18. NWA World Tag Team Title [E. Texas]”. Wrestling-Titles.com. 2013年7月17日閲覧。

外部リンク

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