ニコラオス・ギジス
ニコラオス・ギジス(Nikolaos Gyzis、ギリシャ語表記: Νικόλαος Γύζης、ギリシャ語発音: [ni.'ko.la.os 'ʝi.zis]; 1842年3月1日 – 1901年1月4日)は19世紀のギリシャの画家である。ミュンヘン美術院に学び、後にミュンヘン美術院の教授を務めた。
| ニコラオス・ギジス Nikolaos Gyzis | |
|---|---|
![]() Paulos Diomedesによる肖像画 | |
| 誕生日 | 1842年3月1日 |
| 出生地 | ギリシャ,ティノス島 |
| 死没年 | 1901年1月4日 |
| 死没地 | ドイツ,ミュンヘン |
略歴
ティノス島のΣκλαβοχώριの大工の家の6人兄弟の1人に生まれた。家族とアテネに移り、アテネの美術学校に12歳の1854年から聴講生として学び始め、1864年まで学んだ。卒業間近かになって篤志家の好意により、ティノス島の修道会から奨学資金を得て、ミュンヘン美術院へ留学することができることになった。
1865年6月にミュンヘンに留学し、ギリシャから留学していて帰国間近のニキフォロス・リトラス(Nikiforos Lytras:1834-1904)と知り合い、ドイツの暮らしになじむことができた。ミュンヘン美術院ではアンシュッツ(Hermann Anschütz)やヴァーグナー(Alexander WagnerまたはSándor Wagner)に学び、1868年からはカール・フォン・ピロティの教室に属した。1871年に美術院を卒業し、1872年4月にアテネに帰国した。アテネの美術学校の教授となっていたリトラスと1873年に小アジアを旅したりしたが、ギリシャでの暮らしに失望し、1875年に再びミュンヘンに渡り、その後生涯、ミュンヘンに住むことになった。1876年にはリトラスとパリを旅し、1877年に結婚した。1880年にミュンヘン美術院の名誉会員になり、1888年に常任教授に任じられた。ギジスの教えた学生にはエルンスト・オップラー、オスヴァルト(Fritz Osswald)、マイ=リヒター(Anna May-Rychter)らがいる。
作品
「秘密学校」1996年のギリシャ紙幣の図案となった。
Ηistoria (1892)
Capuchin monk
Eros and the Painter
Learning by Heart
The Barber (1880)
After the destruction of Psara
The orphans
Oriental man with pipe
Artist's psyche
Oriental Warrior
広告ポスター
参考文献
- Οι Έλληνες Ζωγράφοι Α΄ τόμ, Εκδ.Γεώργιος Ραγιάς. Κείμενα: Γιάννης Χ.Παπαϊωάννου
- Παναθήναια Α΄ τεύχ. 11, 15 Μαρτίου 1901 «Αφιέρωμα στον Νικόλαο Γύζη» σσ.403-40
- Χρήστος Λάζος, «Νικόλαος Γύζης», Ιστορία Εικονογραφημένη,τχ.76 (Οκτώβριος 1974),σελ.96-105
