三菱化成黒崎サッカー部

三菱化成黒崎サッカー部(みつびしかせいくろさきサッカーぶ)は、かつて存在した日本のサッカークラブ。三菱化成(現・三菱ケミカル)のサッカー部として1947年に創部し、1995年から三菱化学黒崎フットボールクラブへ改称。2001年からクラブチームとなり、チーム名を「ニューウェーブ北九州」に改めた。日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)加盟のギラヴァンツ北九州の前身となったクラブである。

三菱化成黒崎サッカー部
原語表記 三菱化成黒崎サッカー部
呼称 三菱黒崎、ニューウェーブ、NW北九州
クラブカラー   黄
創設年 1947年
解散年 2009年
ホームタウン 北九州市
ホームスタジアム 北九州市立本城陸上競技場
北九州市立鞘ヶ谷陸上競技場
ホームカラー
アウェイカラー
■テンプレート(■ノート)■サッカークラブPJ

概略・歴史

三菱化成黒崎サッカー部

1947年に北九州市八幡西区黒崎にあった三菱化成黒崎工場(現:黒崎事業所)のサッカー部として創設[1]。1973年に発足した九州サッカーリーグに創設時より参加し、同年に優勝して九州リーグの初代王者となった。また、全国社会人サッカー選手権大会にも初めて出場した。

九州リーグでは新日鐵大分サッカー部や日本電信電話公社熊本サッカー部、鹿児島サッカー教員団などとしのぎを削り、1981年から1984年までの4連覇を含む合計7回のリーグ制覇を果たした。1981年には全国地域サッカーリーグ決勝大会に初めて出場した。

また、天皇杯全日本サッカー選手権大会には第65回(1985年)に初出場して、合計4度出場したが、日本サッカーリーグ(JSL)勢の壁は厚く、天皇杯で勝利を挙げることは出来なかった。

1990年代初めになると日本各地でJリーグへの参加を表明するクラブが次々と名乗りをあげていった。しかし九州でJリーグ入りを表明したクラブはなく、日本サッカーリーグ(JSL)に唯一参加した古豪の新日鐵八幡サッカー部もJリーグ加盟を断わっている。詳細は八幡製鉄サッカー部を参照のこと。なお、三菱化成黒崎サッカー部は1995年に三菱化学黒崎フットボールクラブへチーム名を変更した。

さらに1990年代後半に入ると九州各県からJリーグ加入を目指す動きが起き始め、それに伴い強化を図るクラブチームが頭角を現した。このため1989年に優勝したのを最後に徐々に成績を落とし優勝から遠ざかっていった。

ニューウェーブ北九州

2001年、地域密着型のサッカー・スポーツクラブの創設を目標として、北九州市と地元企業などが共同で特定非営利活動法人北九州フットボールクラブ(北九州FC)を創設し、当時九州リーグに所属していた三菱化学黒崎フットボールクラブの運営を北九州FCに移し、チーム名を「ニューウェーブ北九州」に改め、北九州FCのトップチームになった。元々ニューウェーブ北九州という名前は、北九州市長杯争奪北九州招待サッカー大会に出場するため三菱化成黒崎サッカー部と新日鐵八幡サッカー部から選出された北九州市選抜チームに対して付けられていた名前であった。

クラブは「北九州からJリーグチームを」というスローガンを掲げ当初からトップチームのJリーグ参加を目指し、地元資本である井筒屋やゼンリンなどのスポンサードを受けたり、北九州市内に設置されているコカ・コーラの自動販売機の売上の一部が運営費に贈られた。

2005年、サガン鳥栖元監督で北九州市出身の千疋美徳が監督に就任。リーグ戦は6位の成績。

2006年、千疋が監督を続投し、従来からのスポンサーに加え北九州市からの支援も受けた。リーグ戦は3位、全国社会人サッカー選手権大会は準決勝で静岡FCに敗れた。福岡県サッカー選手権大会(兼第86回天皇杯全日本サッカー選手権大会福岡県予選)は東海大五高校に敗れた。

2007年、千疋が監督を退任し(コーチに就任)、後任に前年までFC琉球の監督だった与那城ジョージが就任。選手もJリーグ経験者のFW藤吉信次、GK水原大樹、クラブ史上初のブラジル人選手となるDFドグラスら全選手の半数近くとなる10人(途中、DFタチコが入団)が加入した。リーグ戦は21節時点で第31回全国地域リーグ決勝大会の出場圏内の2位以上を確定させ、さらに22節に勝利して前身時代以来18年ぶりの九州リーグ優勝を決めた。地域決勝大会は得失点差でファジアーノ岡山FCに次ぐ2位。2008年からの日本フットボールリーグ(JFL)昇格が決まった。なお、北九州市を本拠とするチームとしては日本サッカーリーグ2部から九州サッカーリーグに新日鉄八幡サッカー部が降格した1991年以来17年ぶりの全国リーグ所属チームとなった。

2008年2月、Jリーグ準加盟クラブとして承認された[2]。JFLリーグ戦でのホームゲームの入場者数が毎試合1,000人前後で、最も入場者の多かったMIOびわこ草津戦も1,752人で、8月26日のJリーグによる予備審査で経営状況などの面で基準に劣ると判断された[3]。

初出場となった天皇杯全日本サッカー選手権大会(前身の三菱化成黒崎時代を含めると18年ぶり5回目[4])では、1回戦でホンダロックSCにPK戦で勝利(三菱化成黒崎時代も含めて大会初勝利)、2回戦も三菱重工長崎サッカー部を破ったが、3回戦でベガルタ仙台に敗れた。

2009年、与那城体制3年目。MF関光博、FW長谷川太郎などJリーグ経験者を獲得。前期は、一時は12位まで順位を下げたが8勝4分5敗の勝点28で5位。9月に徳島ヴォルティスから大島康明をレンタルで獲得。後期に入って4位以内を維持し、第16節(11月23日)でアルテ高崎を破り、年間4位以上が確定(最終順位も4位)。入場者数は、開幕戦のジェフリザーブズ戦で9,856人、前期第14節のV・ファーレン長崎戦で8,157人など、後期第15節のFC琉球戦の時点で、Jリーグ加盟基準(平均3,000人)以上の年間入場者数51,000人を突破した。 11月30日のJリーグ臨時理事会で2010年からのJリーグ加盟が承認された。

天皇杯は福岡県代表として本大会に出場したが、1回戦で日本文理大学に敗退した。

2010年よりチーム名称をギラヴァンツ北九州へ改称した。以降の状況はギラヴァンツ北九州を参照のこと。

成績

三菱化成黒崎サッカー部

年度所属順位勝点試合勝分敗得点失点差天皇杯
1973九州優勝96411187+11地区予選敗退
19746位671421218-6
19755位773131213-1
19765位77151109-1
19773位1075022112+9
19782位873221610+6
19798位27025715-8
19803位873221512+3
1981優勝127520256+19
1982優勝1295222410+14
1983優勝1496213410+24
1984優勝1597113012+18
19854位1195133222+101回戦敗退
19863位1195132214+8地区予選敗退
1987優勝1495403010+20地区予選敗退
19883位1295223113+181回戦敗退
1989優勝239720237+161回戦敗退
19902位2096213010+201回戦敗退
19912位482015327824+54地区予選敗退
19923位351810534228+14
19934位32189544732+15
19944位311810172930-1
19958位16185-131842-24
19965位21166-102629-3県予選敗退
19976位24188-103036-6
19987位23189-93544-9
19999位15185-132548-23
20006位26189-92831-3

ニューウェーブ北九州

年度所属順位勝点チーム数試合勝分敗得失差天皇杯監督
2001 九州 8位1510185-132546-21県予選敗退折出成生
20027位1810185-132439-15
20034位42122213-96546+19小野重徳
20046位2810189-94139+2
20056位33101810-85130+21千疋美徳
20063位3691612-44523+22
2007優勝54112018-2598+51与那城ジョージ
2008 JFL10位4918341310114948+13回戦敗退
20094位581834161084931+181回戦敗退

タイトル

クラブ

個人

スタジアム

本城陸上競技場
鞘ヶ谷陸上競技場

ホームスタジアムは八幡西区の北九州市立本城陸上競技場で、2008年までは戸畑区の北九州市立鞘ヶ谷陸上競技場も併用していた。これらのグラウンドは新日鉄八幡サッカー部のホームグラウンドとして全国リーグ(日本サッカーリーグ)において使用された実績があった。鞘ヶ谷は元々八幡製鐵所の所有であったが、後に北九州市営となった。

年度別入場者数

年度所属合計
入場者数
最多入場者数最少入場者数平均
入場者数
試合数ホームゲーム
開催スタジアム
入場者数相手会場入場者数相手会場
2008JFL19,5391,752MIO本城725FC刈谷本城1,15017本城13、鞘ヶ谷4
200957,9479,856ジェフR1,411A高崎3,40917本城17

チーム名変遷

  • 1947年 - 1994年:三菱化成黒崎サッカー部
  • 1995年 - 2000年:三菱化学黒崎フットボールクラブ
  • 2001年 - 2009年:ニューウェーブ北九州

ユニフォーム

クラブカラー

  •   イエロー

ユニフォームサプライヤー

歴代ユニフォームスポンサー年表

年度胸背中袖パンツサプライヤー
2006IZUTSUYAZENRINメディカルネットワークサービス
ケイスタイル
タカギMizuno
2007日専連ベネフル第一交通産業UMBRO
2008WORLD INTEC日専連ベネフルZENRIN
2009WORLD INTEC
/TEAM KITAKYU
ナフコ

背番号の変遷

2001年 - 2007年

No.2001200220032004200520062007
1西岡克浩-----水原大樹
2谷川裕一荒木晋平野中裕介森脇剛タチコ
3梅木久夫久末智松下和樹-----加藤雅裕
4宮崎光弘上農大介ドグラス
5平尾直幸平子整前田隆-----桑原裕義
6大串秀一郎-----森脇剛水越潤
7久末智大塚隆二-----
8野元雄二山本大志波野成宣日高智樹
9萩原勝義植木亨半田隼也藤吉信次
10岡田大作波野成宣井手田文和森本惟人
11石田裕之星原慎也井手田文和-----宮川大輔
12山本大志古本洋一日高智樹サポーター
13石川善啓大和信行盛田賢哉-----山本洋平河村旬記
14久保昭博久保昭博武田勇樹萩原勝義久保篤史山崎理人山田浩稔
15平子整波野成宣山本洋平井上幸次郎-----手嶋俊介永野諒
16大和信行原旭山本大志松下和樹手嶋俊介野本安啓松井雄平
17武田勇樹野元雄二武田勇樹藤木慎介森本惟人-----南祐介
18野崎順一荒木晋平星原慎也上農大介代財剛也小野信義
19古本洋一西田憲司大和信行広松賢-----古賀宗樹
20-----奈良将之古本洋一星原慎也吉野慎治
21藤原正大栗田幸輔-----村口良平
22-----大木剛荒巻貴光山本洋平中原丈聖市村瞬
23出口太一大塚雄太藤原拓也前田隆石山博登清永研治川添大輔-----萬徳隆司
24星原慎也深見大樹谷川裕一福山宙森田真司
25中野隆治西大輔野原信彦-----岩本康輔大場政志
26-----植木亨吉元恒太長嶺立樹中嶋雄大
27-----大塚隆二山野孝太郎森脇剛橋口翔久保田学楠亮平
28-----山本洋平久保篤史古賀宗樹-----
29-----甘水槙一近藤宏之池元友樹-----
30-----井上幸次郎-----山中良二-----
31-----栗田幸輔永冨裕尚船津佑也

過去に在籍した選手

  • Category:ニューウェーブ北九州の選手

脚注

  1. EL GOLAZO『Jリーグプレーヤーズガイド2010』 および 週刊サッカーマガジン『2010 J1&J2リーグ選手名鑑』 より
  2. 『Jリーグ準加盟審査結果について』(プレスリリース)日本プロサッカーリーグ (法人)、2008年2月19日。https://www.jleague.jp/release/article-00002221。2017年7月28日閲覧。
  3. 日刊スポーツ 2008年8月26日付記事
  4. ただし、大会プログラム上では三菱化成黒崎とギラヴァンツは別のチーム扱いとされており、ギラヴァンツとしては初出場扱いとされている

関連項目

三菱化成黒崎サッカー部と同じく、三菱グループ内のサッカー部を前身とする(あるいは現在も同グループ内のサッカー部として活動する)クラブ

外部リンク


This article is issued from Wikipedia. The text is licensed under Creative Commons - Attribution - Sharealike. Additional terms may apply for the media files.