ハイドン・ウッド

ハイドン・ウッド(Haydn Wood, 1882年3月25日 - 1959年3月11日)は、イングランドの作曲家、ヴァイオリニスト。

ハイドン・ウッド
Haydn Wood
生誕 (1882-03-25) 1882年3月25日
イングランドの旗 イングランド、ヨークシャー
死没 (1959-03-11) 1959年3月11日(76歳没)
イングランドの旗 イングランド、ロンドン
職業 作曲家、ヴァイオリニスト

生涯

ハイドン・ウッドは1882年3月25日、ヨークシャーのスラスウェイト[注 1]で生まれた。ウッドが3歳の時、家族がマン島へと引っ越すことになり、この島の記憶が彼に作曲のインスピレーションを与えた。

1897年、ウッドは王立音楽大学でエンリケ・フェルナンデス・アルボスにヴァイオリンを、チャールズ・ヴィリアーズ・スタンフォードに作曲を師事した。

1901年、彼は王立音楽大学のコンサートホール序幕の特別演奏会でソリストを務めた。この演奏会にはヨーゼフ・ヨアヒム(彼は以前にウッドの演奏を聴いていた)やパブロ・デ・サラサーテが出席していた。彼らは非常に感銘を受け、高名な教師であったセザール・トムソン[注 2]の下で学ばせるため、ウッドをブリュッセルに送った[1]。彼はカナダのソプラノ歌手であるデイム・エマ・アルバーニを伴って世界ツアーに出かけ、その協力関係は以後8年にわたって続いた[1]。

1913年から1926年の間、ウッドは1909年に結婚したソプラノ歌手のドロシー・コート[2]と広く演奏旅行を行った。彼は作曲、特に歌曲の分野で大きな成功を収めた。1939年からは、彼は演奏権利協会[注 3]の理事を務めた。

ウッドの70歳の誕生日には、英国放送協会(BBC)が彼の音楽に捧げる演奏会を行った。彼は77歳の誕生日を2週間後に控えた1959年3月11日、ロンドンの介護施設にて他界した。

作品

ハイドン・ウッドは管弦楽曲を多く作曲し、15の組曲、9つの狂詩曲、8つの序曲、3つの協奏的作品と50近くの他の形式の作品があり、そこには個々には180曲になる歌曲も含まれる。

彼の管弦楽作品は主として軽音楽であり、よく知られているのは3楽章の「幻想的協奏曲」(Fantasy-Concerto)である。他には「ロンドンに特徴的な組曲」(London Landmarks Suite)であり、特に「ホワイトホールの騎馬隊 Horse Guards, Whitehall」がよく知られる。1916年に、彼は妻のために大衆歌謡である「ピカルディのバラ Roses of Picardy」を作曲した。大衆音楽を書くようになってから、ウッドはミュージカルの作曲も始め、その中でも演劇「ティナ Tina」が最もよく知られている。

交響詩「マン島 Mannin Veen」は4つのマン島の民謡に基づいており、ウッドが吹奏楽のために作曲した2つの曲のうちの1つである。この作品は、時に管弦楽編曲版でも演奏される。

脚注

注釈

  1. ウェスト・ヨークシャーのカークリーズにある村。
  2. ベルギーのヴァイオリニスト。ジュリアード音楽院などで教えた。
  3. 1924年設立の英国の著作権管理団体。現在はPRS for Musicと称する。(Performing Right Society)

出典

  1. “More legends of Light Music”. Robert Farnon Society. 2014年3月31日閲覧。
  2. “Dorothy Court”. WHO WAS WHO IN THE D'OYLY CARTE OPERA COMPANY. BOISE STATE UNIVERSITY. 2014年3月31日閲覧。

外部リンク

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